Child Chemo House

小児がんの子供達への施設、チャイルド・ケモ・ハウスへの寄付のお願い

小児がんの子供を支える生活環境
「あの街の中で営まれているあたりまえの生活を見るだけで苦しい。
あのあたりまえの生活が我々にはもうないと思うだけで悲しい。」
小児がんの子を抱えるお母さんが、さりげなく丘から街を見下ろしながら漏らされていた一言である。
小児がん病棟を初めて訪問させて頂いた時の印象は強烈であった。
幅60cmにも満たない折りたたみベッドと脇にうず高く積まれた本やおもちゃ。
畳三畳にも満たない空間で、
死と戦う子供に半年間微笑み続けなければならない介添え者の重荷は、説明するまでもない。
母親が笑えば子供も笑う。どんなに辛くとも母親は子供の前で涙を見せることは許されない。
当初の設計要件には「泣部屋」があった。子供から隠れ母親が一人泣く為の空間である。
母親の為のシャワーはない。
病院の施設は基本的に治療を受ける患者の為に存在し、付き添い者が使うことは許されない。
付き添いは寝てはいけないのである。辛うじて仮眠という詭弁を通すために折りたたみベッドは許されるが、
朝の巡回までに片付けて何事もなかったかのように丸椅子に座っていなければならない。
必要な個室
都市における個室差額ベッド代は一日3万円を下らない。
個室の広さは大抵四畳半程度なのであるが、その小さな空間に月90万円も払わなければならない。
普通の不動産感覚からするとこれはかなり異常である。
月90万円も払えば東京の広尾で80坪の豪華マンションが借りられるではないか。
明らかな理不尽が生じている。
医療界の常識ではあろうが世間では非常識である。個室は個室なりに色々と制限がある。
病室に置いて良い家具は基本的にベッドと床頭台それからスツールだけ。
小さなソファーやテーブルは許されるが、住宅の家具らしい家具は許されていない。
キッチンなどもっての他である。
問題の根本は病室は医療行為空間であり居住環境ではないという誤解にある。
多くの長期入院者にとって病室は仮の宿ではなく居住空間なのである。
長期入院者にとって個室は最低限の権利であるべきである。
個室は寂しいという論理で、多床室を是とする論理を私は信じない。
今時世の中で普通の生活をしている時に、寮のような相部屋を望む人はほとんどいないはずである。
その人々が入院した途端に個室よりも大部屋を望む筈などないのである。安い個室は何故ないのか?
個室差額ベッドの値段は普通の不動産市場単価の10倍である。
個室だから特段医療行為や看護行為が増える訳でもない。
そこには個室は贅沢なのであるから、
その料金を払えるお金持ちからは少々取り立てても道徳的に問題はないという前提がある。
ところが個室料金を払う患者は必ずしも豊かな訳ではない。
殆どの人々は諸般の事情によりやむを得ず払っているのである。
チャイルド・ケモ・ハウスは病院ではない。現行法下で病院は基準看護が原則で、付き添いは任意である。
介護者の為の空間や施設を含むことは許されない。
しかしながら子供の入院に親の付き添いは付き物である。
この点が小児病棟と大人の病棟の大きな違いである。
この誰でも解る現実を現行規定は汲み上げられていない。
ほんの一分間親の姿が見えないだけで小児は泣く。例え小学生であろうと、親がいなければ涙ぐむ。
例え完全看護であると言われようと、必死に辛い病魔と戦う愛する子供を親が放っておける筈などない。
親の付き添いは人間としてあたりまえの行為である。小児は母親の一部である。
何らかの法改正が望まれるところである。
いつでも家族とあえる
小児がんの子供達とその家族が欲しいのは家と治療の両立である。
ならば診療所の周りに家を建てれば良いではないか、
という無邪気なアイデアが頭に浮かんだのは七年前に小児がん病棟を見学に訪れた直後である。
病院の建設費をベッド数で割れば一ベッド当たり少なくとも1,000万円から1,500万円はかかる。
単純計算をすれば病院建設の資金があれば小さな住宅を各患者に建ててあげられるではないか?
ところがこのあたり前そうなアイデアがなかなかうまく行かない。
分棟になっていては、免疫機能が弱った子供の移動が難しい。
病院と認められなければできない治療もある。緊急時の対応はどうするのか?
議論を重ね六年の時を経て診療所の周りを住宅で完全に包み込んでしまう現在のダイアグラムができあがった。
チャイルド・ケモ・ハウスに入居している子供達は何時でも家族に面会できる。
子供達の住まう空間は基本的に家であり、どの家にも外へと通ずる玄関がある。
仕事帰りの父親は小道を庭の門を押し開き、ささやかな庭を巡って玄関へと至る。
父親が面会時間を逃して寂しい想いを噛みしめることもなければ、
ナースステーションを通過する時に看護婦さんのご機嫌伺いをする必要もない。
健康状態さえ良ければ、兄弟姉妹や友人も住戸側から面会が可能である。
小児がん治療に伴う隔離は半年にも及ぶが、夫々の子供を別個に見てみれば、
厳重な隔離が必要な期間はその三分の一に過ぎないという。
よって夫々の子供が個別に隔離された空間を持ち、
隔離の度合いを個別にコントロールすることができれば、子供の自由度は飛躍的に改善する。
各住戸にはささやかなキッチンが備えられている。母親は自らの手料理を我が子に食べさせたい。
この母親であれば誰しも思う当たり前の行為が病棟では許されていない。
小児がんの子供たちの食事は基本的に健常者と変わらない。
病院食に飽きた子供達は、健常者と同じようなメニューを母親に頼む。
母親の精一杯の対応は病院内にコンビ二エンスストアの食事を持ち込み給湯室の電子レンジにかける程度である。
余った病院食は母親が食べる。著しく精神面でも身体面でも不健康である。
子供にとって母親の料理に勝るものはない。
勿論腕の優劣はあろうが、子供の好き嫌いを知っているのは母親だけである。
チャイルド・ケモ・ハウスの各住戸では母親が栄養素ではなく愛情を提供する。
日々の給食では決して提供できない部分を補うのである。
共有部には幾人でも使える共有のキッチンがある。
小児病棟において狭い給湯室は母親同志の情報共有の大切な場である。
情報を共有し互いに支え合う。
チャイルド・ケモ・ハウスのキッチンには天窓があり広く明るい。
粉塵を出してはならないので気圧調整弁を使い空気環境として隔離されてはいるが、
大きな窓越しに母親は子供に目を配ることができる。
母親が見えれば子供は安心する。チャイルド・ケモ・ハウスには廊下がない。
5軒程度の住戸が寄り集まり中庭を作り、その中庭が次々と連なって柔らかな街並みを形成する。
通常の病棟の部屋は数珠のように部屋が一列につながっているが、
チャイルド・ケモ・ハウスの住戸はぶどうの房のように塊上に分かれている。
5人というのは仲間内で助け合うのにちょうど良いサイズなのだそうである。
数々の大きさの違う部屋が出会う場所には、少し凹んだ居心地の良い隅が生まれる。
隅にはトップライトを設け自然光に包まれた集いの空間を演出する。全ての病床の上には天窓がある。
病状の思わしくない子供は時間の大半を天井を見て過ごす。
天窓があれば天気の移ろいを眺め、夜空に想いを馳せることもできる。
母親のベッドは病院のそれとは違い仮設ではない。心地よく眠れる普通のベッドである。
住戸は路地のような庭の周りに配置されて、病室の窓は庭の緑に向かって開かれている。
路地に向かって開いていない部屋でも必ず庭を配しプライバシーを確保する。
チャイルド・ケモ・ハウスは家なのであるからあたりまえの配慮である。
庭の緑には四季の変化を感じられるように多品種の植物が入り混ぜられている。
それぞれの入りくんだ路地のような庭空間には幾つもの病室が窓を開いてはいるが
互いの窓を決して見合うことがないように配置されている。
全ての窓の上にはオーニングを設け、雨と直射日光を防ぎ優しい環境を病床へと送り届ける。
清浄度と生活環境
小児がんの子供達の空間であるからには清浄度の管理が大切である。
天井裏には高さ1.4mの設備空間が設けられている。
子供達が居住する範囲には、下向きの点検孔が一箇所もない。天井裏の粉塵を落とさない為である。
空調の吹き出しは設備空間を使って作った吹き抜け天井の横面から行う。
最低限必要な点検孔もこの吹き抜けの立ち上がり面に設けられている。
高性能フィルターもこの立ち上がり面に設け、
メンテナンスを容易にするとともに、粉塵の落下を最小限に抑えている。
各住戸の空調は共有部と全く独立したシステムである。
従って共有部の粉塵がダクトによって持ち込まれることはない。
住戸の空調は吹き抜けの部分に取り付けられている。
風は気積の大きい吹き抜けへ吹き出し、ゆっくりと居住空間へと落ちる。
暖房は熱源にヒートポンプを使った効率良い床暖房である。
空調ではないので粉塵を巻き上げる風はない。
カビが発生する危険性のある浴室及び粉塵が発生するキッチンには差圧ダンパーを設け、
常に共有部より負圧となるように設定されている。
床の仕上げは長尺シートではなく抗菌カーペットとした。
生活空間であるからには常に粉塵が発生し、粉塵は随時床に落ち続ける。
手術室のように全ての物品を管理することはできない。
その落ちた粉塵を24時間掃除し続ける事は不可能である。
抗菌カーペットであれば落ちた粉塵は吸着され舞い上がらず、掃除機で簡単に取り去ることができる。
嘔吐物も取る手段もあるし、止むを得ない場合は60cm角毎に取り替えることもできる。
あたりまえの生活
チャイルド・ケモ・ハウスが追い求めているのは、あたりまえの生活である。贅沢ではない。
これほど豊かな日本社会の中で、受刑者の生活にも遥かに劣る生活を半年も余儀なくされる母親達がいる。
その母親に頼る小児がんの子供達がいる。
ほんの少しだけ医療施設の決まりごとを変えるだけで、この事実は劇的に改善されるはずなのである。

手塚貴晴

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