先日「カップラーメンの牛乳戻し」についての記事があった。現代の食生活が乱れているということを書いてある記事である。まあそれだけであれば驚かないが、その後に続くコメント欄を見て驚いた。ほとんどのコメントが記事を非難する内容である。取りまとめると「貧しくとも子供に栄養をつけさせようとしてる母親のどこが悪い。化学調味料のどこが悪い。そんな時間はない。」という内容である。残念に思った。貧しいから忙しい。よって化学調味料で良いというのは短絡的である。貧しいというのは社会的不平等の問題である。これはこれで解決すべき大問題であるが、化学調味料の正当化に使われるのは如何なものであるか。すり替えてはいけない。化学調味料で貧しさは解決しない。貧しい家庭であっても、カップラーメンを主食として子供に出さなくても良い社会を作ることが本筋であろう。
書き込みをしてる人たちは、化学調味料など使わない方が料理が美味しいということを知らないのだ。化学調味料を使っても使わなくても料理の時間など大して変わらないことを知らないのだ。30年前、結婚したころ妻とこのことについて大喧嘩をしたことがある。私が「ブイヨンのキューブやだし粉末は使わないでくれ。」と言ったら怒り出したのである。その頃の妻は料理は化学調味料を使うものだと思い込んでいた。事実料理本の殆んどには化学調味料が塩や醤油と並んで書き込まれている。今の我が家では笑い話となっているが、そのくらい化学調味料の刷り込みというのは激しいのだ。以前ゼミ旅行で味噌担当の学生が、粉末の味噌汁パックを買い込んできたことがあった。彼女は手塚研究室に入るまで、味噌を溶いた経験も溶いているのを見た経験もなかった。鰹節を削るのは1分。削った鰹節で出汁をとるのは30秒。だしの粉末をハサミで開けるのと如何程の違いであろうか。味噌を溶くのは30秒。確かに粉末より時間がかかる。しかし得るものは大きい。子供の笑顔である。子供にはわかる。その愛情が。
カボチャのスープ。カボチャは安い。200円で買える。それをざく切りにして煮る。圧力鍋だと早いが普通の鍋でも簡単に煮える。それを潰す。フードプロセッサーがあると楽だが、スリコギでも簡単に潰れる。それをザルでこして牛乳と合わせ塩で味を整える。私はこだわるので、金団に使う超細目のうらごしの道具を使うが、そこまでしなくてもいい。栄養たっぷり。殆んど完全食。子供大好き。