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怪しいサスティナブル建築

2025/11/16

サスティナブル建築という宗教がある。どうしても好きになれない。理由はその手法の多くが偽善に満ちているからである。環境破壊を原罪として背負う建築家の免罪符と言っても良い。今WAF(世界建築祭)のプレゼンテーションに来ている。沢山の建築家が世界中から来ている。今年こそ賞を射止めんと建築家が練り尽くしたプレゼンテーションをする。その大半の建築家が、サスティナビリティの為に10分しかない制限時間の大半を費やしている。木構造。アースウォール。空気が通る煉瓦。日除ルーバー。屋上緑化。雨水活用。リサイクルマテリアル。太陽光パネル。いずれも手法としては正しい。しかしどれも怪しい。

ここで環境に配慮するという常識に反対するつもりはない。エネルギーを無駄に使い炭酸ガスを大量に排出する建築は問題である。しかしそれは倫理の問題であって建築の本質ではない。それは日常生活において、ゴミのポイ捨てはいけないとか、路上喫煙はいけないといった、あたりまえの規範に過ぎない。普通に歩いていただけなのに、知らない人からすれ違い様に、「ゴミを捨ててはいけない。タバコを捨てちゃいけない。」と突然諭されたら気持ちが悪い。WAFに限らず最近はそういうおせっかいに満ちている。建築文化に関する議論はどこへ行った?

WAFでは軒の深い殆ど半外部の建築をプレゼンテーションした。そもそもほとんどが軒の下の半外部であるから、負荷自体が殆ど存在しない。雨水は普通に地面に返す。地下水脈は壊さない。わざわざ建物を緑化の為に土の下に埋めたりはしない。地中は湿気るし、重たくなれば構造が大きくなる。風通しも悪くなる。木は地面に本来生えるものである。普通の鉄筋コンクリート造である。現地にはル・コルビュジエやルイス・カーンの名建築が数多く遺る素晴らしいコンクリート建築の文化がある。木造にするつもりはない。今回の建設する国では木が採れないからである。石造にするつもりはない。石が現地にはないからである。アースウォールを使うつもりはない。少しずつ沈むし、湿気の多い環境には馴染まない。太陽光パネルをことさら設置するつもりはない。そんなことよりも敷地にある木々や草を守り、自然の生態系を守ることのほうが大切であるからである。

最も環境に優しい建築の条件とは、人々に愛され、50年100年を超えて生き残ることができるかということである。目先の数字ではない。いくら環境負荷が小さい設計でも、取り壊されてしまっては元も子もない。そもそも建設プロセスで生じる環境負荷は、使われることで発生する環境負荷に匹敵するか、或いはそれ以上である。

鍵は建築が纏うライフスタイルにある。人々の意識である。展開するライフスタイルが自然と齟齬なく一体で快適であれば、自ずと環境負荷は減る。人々はその建築を大切に守り育てる。ルーバーやメッシュに覆われた薄暗い空間は好きになれない。深い軒下のデッキチェアに身を横たえ、アールグレーティーを愉しみながら景色を見たい。頑張らないと使えない環境建築は好きになれない。答えは歴史にある。あたりまえの答え。どんなハイテクを使おうとも、歴史に揉まれた名建築には敵わない。そもそも電気を使っていなかったのであるから。

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