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森の中を抜けて行く風を見たい

2024/12/16

「森の中を抜けて行く風を見たい。」なんともキザな一節である。発言者は池田勝也。手塚由比、旧姓池田の父親である。私にとっては義理の父親にあたる。12月1日11時30分。喫茶Lawnで企画された講演会での出来事である。出席者には大野二郎氏、横河健氏、松岡拓公雄氏、宮晶子氏、亀谷信男氏その他多くの重鎮が並んだ。面白いのは、その誰もが池田勝也を知らなかったことである。純粋に場の力が引き起こしたイベントである。
池田勝也氏は第一工房初期の社員である。大阪芸術大学の設計競技のチームに加わり、現場は二号棟まで担当した。喫茶Lawnは高橋靗一先生から送られた独立の花向けであるという。こんな素晴らしい仕事を、独立する若手社員に与えてしまう高橋先生は粋である。
池田勝也は明治大学の神代雄一郎研究室出身である。私は歴史専門の教授から手解きを受けていない。羨ましい限りである。武蔵工業大学では、広瀬鎌ニ先生の日本史があったが、広瀬鎌ニはあくまでも作家である。あくまでも自作という活動の覗き窓を通して歴史を見ている。それはそれで価値があるのであるが、どうしても視野が狭い。何の説明をしても「私は」という色が付いてしまう。素晴らしき主観はあるが、客観がない。神代雄一郎は専門であるから、地面を這い回る建築家とは違い、鷹のように高所から傍観している。池田勝也は二畳台目の話をした。歴史の解釈はさておき、狭さとそこに生まれる秘匿の関係性に焦点を当てていた。
かつて日本各地の50年代に雨後のキノコのように増殖した喫茶店は、スターバックスに代表される個人主義の居間ではない。多様な出会いと会話が立ち込める、街の凝縮であったようである。そこに池田勝也は街路を持ち込んだ。街路は二階まで吹き抜けている。60平米足らずの空間に余計な要素を入れるわけであるから効率が悪い。しかしその効率の悪さにこそ意味がある。狭い吹き抜けを通して奥まで光が差し込んでいる。その街路以外はコンクリート壁。恐る恐る街路に踏み入れてはじめて広がる洞窟。
Lawnは詳細に満ちている。まだ所員もいない若手建築家が遮二無二創意工夫を詰め込んだ跡が見て取れる。椅子も全て特注である。スピーカーも壁に埋め込まれている。天井と壁の見切りは二畳台目を参照したという。
池田勝也は86才である。今頃になってLawnは次々と出版が続き世を騒がしている。遅過ぎたという人もいる。しかし「56年の満を持して」というべきであろう。Lawnの力は時である。半世紀の壁を超えて生きながらえている昭和の喫茶店は少ない。文豪や建築家が集ったオーラは重い。建築の竣工は始まりに過ぎない。

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