保坂展人 世田谷区 区長
野城智也 東京都市大学 学長
手塚貴晴 東京都市大学 教授
「コンクリートから土へ」素晴らしいメッセージがあった。ここは東京都市大学。発言は保坂展人世田谷区区長である。シンポジウムのホストは野城智也東京都市大学学長。手塚貴晴は進行役である。保坂市長の業績である下北沢街づくりや子育て支援に関する詳細は、膨大な書籍があるので、そちらを参照していただきたい。今回は最後に「コンクリートから土へ」という話があった。コンクリートで固められた斜面が崩れたのに、自然な土のままの斜面は崩れなかったという。地中の水を堰き止めると、土が緩むという。ここで私が細かく説明するのは野暮なので、詳しくは保坂区長の今後の著作を読んで頂くか、講演を聞いて頂きたい。要点は「誰もが幸せになる街をつくりたい。その為には見えるものだけではなく、地面の下の土も考えなくてはいけない。」というメッセージである。この先の深読みは私の文責となる。地上に出ている森は一部に過ぎない。森の本体は地中にある。その土の下で生きとし生けるものは助け合い、その命の芽吹きが緑となり空へと開く。人もその共生叢の一部である。そこに人々は安らぎを見出し、幸せを育む。
少子高齢化解決の鍵を見た。「日本の少子高齢化はもはや避けられない問題である。」と日本人の大多数は諦めている。しかし世田谷区の人口は増えている。2011年4700人、12年5400人、13年6800人と、3年間で1万6900人の増加であるという。「東京都は首都であるから人口流入が起きる。あたりまえではないか。」とたしなめる人いるかもしれない。しかし東京都の人口は微増しかしていない。さらに世田谷区について特筆すべきは、人口増だけではない。5歳以下の子供が1000人以上毎年増えているのであるという。
日本の経済は縮小している。私は経済縮小の最大の原因は、少子高齢化にあると確信している。日本が産業分野で出遅れているというが、労働人口あたりで割ってみると、GDPは増えている。若者の数は半分になった。10人で漕いでいた船の漕ぎ手が5人になる。苦しくなるのはあたりまえである。子供を育てられないということは、船が漕ぎ手を雇わないのと同じことをである。リタイアした漕ぎ手は客となり、さらに積載人員が増え船足は鈍る。
近年外国人労働者の問題が大きくなってきている。低賃金で働いて日本人の仕事を奪うという。日本語が喋れないコミュニティーを作り、地域の治安が悪化するという。しかし、この種の議論をする人たちは忘れている。外国人労働者を招いているのも日本人だということを。彼らは少子高齢化の結果として仕事する日本人が減ったから、助けに来てくれているのである。漕ぎ手が足りなくなった船に、助っ人として入って来たのである。
子供こそが経済活性化の鍵である。「国内の消費が伸びない」という。「消費しろ」と言う。無理な話である。先行き不安な国で老後を生きのびる為には、お金を溜め込んで備えざるをえない。大抵の人は、毎日ご飯が食べれて、時々江ノ島にドライブに行ければじゅうぶん。車もトヨタプリウスでいい。日々そこそこの生活ができれば良い。普通の人々は日本の経済活性化の為だからと言って無駄遣いをしたりしない。その中で、一つだけ絶対に殆どの人々がお金を惜しまない買い物がある。子供である。子供一人を育てるのに必要なコストは、その地域の家屋の値段とほぼ同じであると言う。貧しい国では貧しいなりに一生懸命作った家の値段。豊かな国ではそれなりの贅沢な家の値段になるという。例えば世田谷区で家を建てるとする。小さな家でも8000万円はかかる。これが子供の値段である。家を設計していると面白い現象に気がついた。子供が多い家ほど小さな家にギュウギュウ住んでいるのである。理由は簡単。子供にお金を使ってしまうから、家にお金をかけられないのである。子供一人の家は、子育ての為に家一軒分の8000万円を使う。子供三人の家は実に2億4000万円ものお金を使っている。子供はフェラーリやランボルギーニよりも高いのである。それでも親は子供にお金を使う。それは「命をつなぐ」という人間の本能があるからである。親は自分が何も食べなくとも、子供には「ママとパパはお腹空いてないから。」と言って、子供に微笑みかけながら食べさせる。人とはそういう生きものである。子供の為に使ったお金は浪費ではない。外国に流出したりもしない。誰かの給料になるのである。さらにそうして育った子供たちは日本という船の漕ぎ手になる。親は大変であるが、日本社会全体から見れば何一つ無駄になっていない。
そういえば、5才6ヶ月の息子が言っていたことを思い出した。彼は今や大学二年生の大男に育っている。私は子供の語録を日時までつけて細かく記録している。時は15年前。場所は娘が通っていた田園調布雙葉のホールでの出来事である。
「音楽を聞いていたら神様に感謝したくなってきた。」(シイ)
「ママにもお金貯めてくれるから感謝してるよ。」(シイ)
「ママはシイ君とブナちゃんがいるからあんまり仕事できてないけどね。」(ユイ)
「子供育てるのはとても大切なコトなんだよ。」(シイ)
(2010年12月24日クリスマスイブ)
5才の子供もちゃんとわかるのである。「子供を育てるのは大切なこと。」
家を作ると子供が生まれる。これは不思議な現象であるが真実である。結婚して10年を迎えた我々は、子供を諦めていた。できても一人だと思っていた。ところが家を作り始めたら子供ができた。しかも竣工がほぼ同じ。子供の竣工とは生まれた日のことである。これは我が家だけの現象ではない。「子供ができないから小さい家でいいです。」との要望を受けて家を作ると、なぜか子供ができてしまう。それも一軒や二軒ではない。次々と子供ができてしまう。計算間違いが起きた。子供室がないのである。そこで我々は設計する時そういう夫婦に、「いや、将来どうなるかわかりませんから、予備の部屋を作っといた方が良いですよ。」ということにしている。我が家は一人できたら二人目ができて、いよいよ場所が足りなくなってしまった。よって我が家の子供部屋は幅1メートル程しかない。寝台車の寝台並みに狭い。詳しい我が家の極小子供部屋の話については、NHKオンデマンドをみてください。この文章の要点は家を作るとなぜか子供ができるという事件である。
世田谷区では子供が増えている。これは「街を作ると子供が増える。」ということなのではないかと思う。街ならなんでも良い訳ではない。「子供を育てたくなるような街。」ということである。この点を単なる福祉とすり替える論調は多い。確かにそれも真実である。子供を育てたくなるような街は気持ちがいい。しかしここで言いたいことは、「子供が育つような街を作れるか?」という指標は、日本の死活問題だということである。
「Noと言えなければいけない。」という区長の言葉があった。素晴らしいと思う。「役人が苦情処理係になってはいけない。苦情処理係になると、税金が本来の場所ではなく無駄な場所に使われる。」という。勇気のある発言である。「保育園の声がうるさいから、子供を外で遊ばせられない。だから高い防音壁を税金で建てる。とんでもない話である。ドイツでは、『子供の声は騒音ではない。』という法律が作られた。」という。私にも心当たりがある。たった一人の住民の反対で、保育園の認可が取り消しになったことがあった。しかもその人は隣地に住んでいない。その敷地から離れた道筋であった。通る車が増えるという。その後別件で、保育園で子供を育てた親が、「子供が大きくなったから保育園はもういらない。」と言って、保育園反対側に回ったこともあった。こちらはさすがに役所の人も頑張った。しかし認可取り消しの一件は、役所が守らないどころか、地元議員まで反対に加わって計画が潰れた。そういえばこういうこともあった。子供の遊び場が、近隣住民一人の反対で閉鎖になった事件である。この件はみなさんもニュースでご存知の通りである。なぜこのような「誰もがおかしい」と思う意見が通るのか。なぜ静かな大多数の見解が反映されないのか。それは腹を括る親分がいないからである。「俺が責任を取るから、心配すんな!」という啖呵である。保坂区長はそういう親分である。一方で近年とんでもない首長がいた。プールの水を出しっぱなしにして無駄にした教員がいたら、その経費を役所の職員の給料から差っ引き、挙句の果ては教員に損害を請求した。そんな親分には誰もついて行かない。守られない役所の職員は保身に走らざるをえず、苦情処理係に陥ってしまう。
今世田谷区に子供が増えている。それは「正しいことを正しい」と言える親分がいるからである。人は一人で生きられない。お互いに迷惑をかけ合い助け合い生きてゆく。それを見極め、正しく差配を振るうのが正しい政治である。保坂区長は5%でいいから私の思う通りにしたいという。(1-0.5)を10乗するとほぼ0.6になる。ということは10年間区長が粘り続けると、1-0.6=0.4。即ち。四割を正しい方向に向けられるということなのではなかろうか?素晴らしい。今世田谷区で起きていることは、日本の未来である。保坂区長は元々国会議員である。日本の大局を見る視点があるのは当然であるのかもしれない。素晴らしいシンポジウムであった。
文責 手塚貴晴





