風姿は渓谷に面するオーベルジュである。運営母体は奥多摩の割烹で知れ渡る「黒茶屋」。ひとしきり小さな林を超えたところにその本体はある。五日市街道沿いにあった幾つもの民家を保存活用し、製糸業を営んでいた母屋に加え、現在では二百席を備えている。この都度の別棟は、その割烹の長い歴史の総決算となる。亭主はかつて日本国首相が国賓を迎え平和について模索する席を設えてきた経験があるという。
秋川は神奈川と東京の県境、檜原村の三頭山に発する沢を源流とする。風姿はその秋川と盆堀川の落合にあり、西には天然の要害を生かした城山を背負う。峻険な渓谷を清流が刻み、唯一無二の絵巻を彩る。風姿という屋号は世阿弥が残した風姿花伝から学んだ。三筋の流れが出合う地勢は、東西南北の微風を掴み地霊となす。土は秋川の水を含み、稀な気を溜めている。水気は立ち黄鋼色の暁へと昇華する。紅葉と黄葉は恐ろしいまでに艶やかに輝き、留まる刻を知らない。雪の懐に隠れ時折魅せる川面は黎色。
その勇壮かつ可憐な地合をしつらえる屋根がある。軒先は低く深い。床から五尺に抑えた。五尺は日本人の平均的な目線の高さである。その設えの先に秋川の渓谷が目深に広がる。対岸の森は見えない。視線を低く誘い、悠久の古から秋川が削る岩を魅せる。谷は深く太陽光が差し込む時間は短い。その短いひと時の閃きが川面に写る時を捉える。直射日光は入れない。軒下には地下水が引かれている。冷泉とは言わない。清流を岩土葉が濾し地中深くに至った秋川の水である。その水を縁が見えない風呂に満たしている。風呂は職人が丹念に数ヶ月をかけて磨き上げた黎の色である。黎とは陽が昇る一瞬前の黒。この別棟の親である黒茶屋の黒でもある。水を満たした浴槽は一枚の石となり、谷の樹々を映し無限の幻を編む。
この建物の大半は外である。能であれば舞台であろう。軒のある道もあり、鏡板に相当する本物の竹庭もある。場を規定する柱はない。十三間の軒先は浮いている。竹林の中庭を背負い舞台に座を獲れば、人智で描くことのできない悠久の絵巻が風姿となって顕れる。ここでは雨も雪も酒肴となる。晴れの日は尚のこと輝かしい陽が軒裏に映る。現代の能舞台は立派であれば立派であるほど、劇場の中に包まれ守られ、書き割りのような装置に変わり果てている。しかし元来能とは、自然の中で舞台を設え、現世と来世の境界を行き来する空蝉の世を謡う所業である。所詮日本建築の本質は屋根にある。意外な程に人間は強い。流石に風雨にさらされて生き残ることは難しいが、屋根さえあればなんとか生きられるどころか、愉しみを見出す力を持っている。その適度に仕立てられた自然に趣がある。
屋根は波型スレートである。微かに黒茶屋の色に染めてはあるが、一般的な工場の屋根と同じ材料である。その気になれば瓦を葺くことはできた。それでも敢えて波型スレートを選択したのは、現代の選択肢の中で、最もこの意匠に相応しい材料を選んだ結果である。軒先に樋は無い。雨が渓谷に落ちると、波型スレートは水を分け、溝の数だけの雫の糸を垂らし、天然の簾となる。
壁仕上げは編物である。二万本の細板を切り出し、毛筋程の僅かな隙間を残して貼り並べている。内は横貼り。外は縦貼りである。内は左右に移ろう水を追い、外は縦に降る雨を凌ぐ為である。軒裏は細い木片を固めた素材を黒染。敢えて桟木で押さえ込んでいる。多孔質の天井は反響を抑える為にある。谷川の響きはそのまま愛でるには鋼過ぎる。基本は木造であるが、軒の構造には鉄を仕込んである。先端の構造技術が成す妙技。木造では成得ることができない広がりの軒を実現する為である。この建築は数寄屋でない。様式は伝統に裏打ちされた仕来りである。ここは現代建築でもない。求められたのは秋川渓谷の風土に住まう知恵を求めたごく当たり前の姿である。過去や未来と無縁の千年が相方である。二枚の襖絵がある。暁と宵である。暁は陽が昇る一瞬前の微かな輝きを写し、宵は帷が降りる前の予兆の色合いに染められている。軒先のしつらえと繋げて味わって頂きたい。しかしながら、そのいずれも目の前の実物に適う事がない。ダイニングには重く一枚板が座っている。そこに秋川渓谷にのみ依存する唯一無二の料理が並ぶ。贅沢な素材は使わないという。水も風も食もそこにあるもの。贅沢のない饗応の極。
茶事に合わせた伝統的な炉はないが、もてなしの心の赴くままに主人が茶をたてる。家具は和から洋まで幅広い。年代も李朝の家具から近代の作家物を経て、主人が工夫を凝らした現代の椅子まで至る。棚には弥生土器がある。花器である。現代の作家物の間にさりげなく並び使われている。ここは博物館ではない。全てが日常を生きる調度品である。寝室と居間の間には裏表一枚の淡い襖絵がある。夜明け前の淡い明るさを染めた「暁」と日没直後の闇を魅せた「宵」である。部屋奥に座せば、金箔が怪しく煌めき秋川の水面と繋がる。
昨今建築の評価がモノからコトに重きを置きつつあるのは知っている。しかし建築という人類史にも匹敵する歴史を顧みると、コトだけで建築の質は説明し得ない。いくら倫理上優れていようとも、あるいは論理が緻密に組み立てられていようとも、最後に添えられる一輪の花がなければ命は宿らない。正しく導かれた贅沢は道「どう」である。美と崇高は建築家が渇望する夢である。その夢を建主と共に紡ぐ機会を得、その崇高さが食、陶芸、花、能、庭へと浸潤して行く様を経験できた我々は幸せ者である。