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カボチャを食べる(父の友 第一回)

2022/8/22

娘はなかなか親が思うように食べてくれない。息子は食いしん坊である。息子の食べ物に関してはそれ程心配してはいないので、今回は娘を中心に書くこととする。

 私は三歳の娘と一歳の息子を抱える父親だ。我が妻は「手塚建築研究所」の共同経営者でもある。うちは家事に関して男女平等である。男女平等といえば聞こえはいいが、妻が建築の仕事をしてくれないと私は困るのである。また私もけっこう料理が好きなこともあって現在の状態に落ち着いている。子育ても大好きである。しかしながら、やはり母親には勝てない。私は母乳が出ないのだ。家庭で私は劣勢にある。料理は頑張らなければならない。

 娘は二歳まで母乳を飲んでいた。止めたのも娘の意図ではない。弟が生まれるという拠所ない事情であった。多分母乳は美味いのだと思う。どう美味いのかは知らないが、母乳は最強の料理である。

 一方、私が一生懸命作ってもなかなか食べてくれない。悩む折、我々は突然娘の好物を見つけた。田園調布駅前のパン屋、メゾンカイザーのかぼちゃスープである。何を出してもセキセイインコ程度しか食べなかった娘がなんとカップ一杯飲み干しているではないか。

 早速翌日から朝食のメニューにかぼちゃの冷製ポタージュを加えることにした。カボチャの皮をむいて、出来るだけ大振りのまま出来るだけ少ない水で、カボチャがとろける寸前まで三十分程煮る。とろけてしまっては味がなくなってしまうので程々が肝心である。煮えたカボチャと牛乳とバター少々、それから一つまみの塩をフードプロセッサーにかける。これだけで出来上がりである。結構美味い。

 娘はというとグングン食べる。成功である。調子に乗った私は毎日作り続けた。過ぎたるは及ばざるが如し。ある日娘はカボチャのスープを飲むのを止めた。飽きてしまったのである。一度飽きてしまうと二度と食べない。悲しい。

 カボチャは体に良い。他に何か食べるのなら良いのだが、食べるのはクロワッサンだけである。栄養は絶対に足りない。そこで今度はカボチャの天ぷらにトライすることにした。片栗粉を冷水と卵で溶いて衣にし二度揚げする。最初三分待ってまた一分。カラリと揚がる。熱いうちに岩塩を振る。カボチャは小さめの方が良い。何事も小さめの食べ物が娘は好きである。前回の教訓に従いカボチャの天ぷらは毎日作らない。精々一週間に一回。

 カボチャには季節がある。しょっちゅう使うようになってから、カボチャは本当に夏物なんだと実感する。春の終わりから初夏にかけてのカボチャは美味しい。娘はむさぼるように食べる。夏が進むに従ってカボチャの産地は鹿児島から北海道へと移動する。そして外国産のカボチャしかなくなったとき、娘はカボチャを食べるのを止める。輸入品のカボチャはなんとなくエグみがあるのだ。子供の味覚には驚かされる。

 娘は味覚が敏感に育っている。出汁だって火を止めた鍋に新鮮な削り節をそっと沈めて取る。それでも食べないことがある。ところが仕事で富山に行ったとき、著名な料亭、吉兆に接待で連れて行ってもらった。すると驚くなかれ、娘は全ての皿を一人前完食したのである。なんということ。うれしい反面心配でもある、将来、彼氏と食事に行ったとき吉兆以上でしか食事の出来ない鼻持ちならない人間に育ったらどうしよう。

 味覚を育てることは大切だと思っている。音感と同様四歳までに味覚は決まってしまうという。我が家では既製品ブイヨンや出汁の素は厳禁である。当初面倒だと苦情を言っていた我が妻も、今や牛肉やセロリを煮込んでシチューの味を作っている。ちゃんとしたものを食べていると、人工調味料の食事は食べられなくなってくる。

 娘は突然ラマダン(断食)に入る。ラマダンに入るととにかく食べない。どんなに大好きな晩ごはんを作ろうと、「おなか一杯」という言下拒否の姿勢を貫く。両親の努力を無碍に、一口かじっただけで「御馳走サマー」と遊びに行ってしまう。しかも夜になっても少しもお腹がすいた素振りをみせない。そのような日が数日続くと、お腹がへこんでくる。心配で親の気持ちも同時にしぼんでくる。弱り続けているとある日突然、ラマダンあけの日が訪れる。このラマダンあけの娘は、まるでライオンだ。

 小さな体で大人一人前を軽々と平らげてしまう。お腹は大きく膨らみズボンのボタンはとまらなくなる。太りすぎのヨーロッパ紳士のリンゴ体形である。

 保育園の先生に相談してみると、なんと娘は毎日ちゃんとご飯粒ひとつ残さず昼ごはんを食べているのだそうである。ナンダ。結局必要な栄養は昼にとっているから大丈夫ということなのだろう。子供の体は解らない。一日三十品目の食品というが、家では一食一種類しか食べない。実にコンセプトが一貫している。親としては意思がしっかりしている子供を喜ぶべきなのだろうか?

 最近、ある結論に至った。結局子供は自分に何が必要か解っている。体が欲すればちゃんと食べるはずだ。悩むことはもう止めた。今日も娘は山ほどカボチャの天ぷらのみを平らげて出かけていった。

(初出:母の友2007年2月号 父の友)
(絵:佐藤直行)

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