ヤクという牛がいる。宮崎駿氏のシュナの旅に登場するところの毛長牛に近いイメージといえば、日本人にもわかりやすいかもしれない。高所に住んでいる。Jhamtse Gatsalに行く道筋で会えるというので楽しみにしていた。道筋にはSela Passという峠がある。微妙な国境紛争に近いせいで、この4300mの峠を超えないとjhamtse Gatsalには行けない。気圧は海面より40パーセントも低い。酸素は我々の日常生活空間の半分よりちょっと多い程度である。言うまでもなく気候は厳しい。
「アレがヤクだよ。」と案内役のVasuが言う。まだ峠ではない道筋。標高は既に3500m。しかしどう見ても牛である。デリーの道で通せんぼをして交通渋滞を引き起こす牛の神様とは確かに違う。黒い。「アレは牛じゃないの?」と聞き返すと、ニッコリ笑顔で「そうかもしれないが、そうでもある。」と返す。いい加減なものである。せっかく日本から遠路はるばる来たのだから、しっかりした情報を提供するのがモラルだと思うが、そんな日本という島国の常識はここタワン地方では通用しない。文句を言ったら負けである。それでもじっと観察してみると、確かに普通の牛より毛足は長い。普段五分刈りの坊主頭が、3ヶ月床屋に行きそびれるとこうなる。正直なところ有り難みは全くない。しかし「あーそうですか。」と曖昧な答えを返すと、笑顔が返ってくる。この地方に限らず、私の知り合いのインド人は笑顔の達人である。インド人の多数はヒングリッシュを話す。ヒンズー語と英語を切り混ぜて中華鍋で炒めるとこんな感じだと思う。英語で話していると突然ヒングリッシュに切り替わる。切り替わると何言ってるか全くわからない。例えば日本語だとすると、「yesterday dinner を食べに行ったらold friend に会ってね。とってもcheerfulなtimeを過ごしたよ。dalと焦げ気味のRoti の相性も良くてさ。」という感じ。単語はわかるがその関係性が全くわからない。その時インド人の表情はとても助けになる。哀しい時はこの世の終わりのような目つきになるし、嬉しい時は口の中に幸せをほうばったように開く。だから笑顔で返されると、どうしてもネガティブな返事はできない。
高度が上がるにつれ、その床屋に行き忘れた坊主頭が、だんだん普通の長髪になってくる。峠に着くと正真正銘の超ロン毛の牛がいる。ヤクである。遠くから見ると、どっちが前だかわからないぐらい、ロン毛がボウボウと茂っている。このヤクは絶滅危惧種であるそうである。一般の牛と交雑が進んだせいであると言う。しかしここに来てみるとその心配はないと思う。第一にここは寒い。ここから下った先にある暖かいアッサム地方の牝牛は、絶対にこんな寒いところへお嫁に来ない。毛深くて暑がりの牡牛に興味などないはずである。その結果として、ほんのちょっと寒い隣村の牡牛のところにお嫁に行って、そこでちょっとだけ、毛足が長い子供が生まれる。その子供がまたちょっと寒い隣村に。お嫁に行って、と繰り返すうち、だんだん低地の牛のDNAは薄くなって、結局高地のヤクはヤクのままで変わらない。第二に峠周辺にはロクな食べ物がない。石にへばりついている苔のような素食を食べている。アッサムの甘い草を喰んでいた地方からは、絶対にお嫁に来ない。自然がちゃんと棲み分けを作っている。
人間が心配しなくても、自然界はよくできている。自然界には明白な境界など存在しない。低地のアッサムから峠の4300メートルまで、どのようなグラデーションで牛の髪型が変化しているのか見てみたい。低地仕様から高地仕様に至る牛をズラリと並べてみるとさぞ面白かろうと思う。