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七日目 別れ

2022/12/3

ヒマラヤから降ってきた蒸気が、凝集して粒となり重く立ち籠める。つい昨日まで迎えてくれた峰々は消え失せ、高山の人智を超えた気配が帰っている。人の力など遥かに及ばぬ存在が、起き抜けの鼓動を無音のまま響かせている。ここに半年ほど滞在したかのような錯覚に捉わられる。実は六泊四日に過ぎない。限りない深さの叡智と慈愛。掛け値なしの笑顔。正直な暮らし。今までの人生全てに匹敵する経験がここにはあった。記録映像の中でゲンラは述べる。「私に子供時代は存在しなかった。今私は八十五人の子供に囲まれている。私が失った子供時代は一つだけ。しかし今私は八十五の子供時代を経験している。私は幸せだ。」ここではボランティアという言葉の入る余地がない。ボランティアとは人助けという意味であると思う。ボランティアは美しい善意である。これは間違いがない。一方この孤児院の名前ジャムセイに含まれるLove and Compassionは少々違う意味合いを含んでいる。ゲンラを含めたここで働く人たちにとってこの場は、ボランティアではなく生きる意味そのものなのだ。そこには与えるという喜捨の態度はない。子供が泣けば共に泣き、子供が笑えば共に笑う。人と自分の境界は存在しない。人の命は短い。他の人と共に生きることは喜びであり、自らの存在意義でもある。

朝五時だというのに紅茶とビスケットが部屋に運ばれてきた。この子達はいったい何時に起きたのだろう。紅茶が胃を下り、血管を伝って指先へと温もりを届け始める。壁の外は静寂が支配している。ノックがあった。「グッドモーニングサー。」荷物を車に運びに来てくれたらしい。しかし私はスーツケースを持っていない。小さなバック二つだけである。運んでもらう必要はない。広場に出る。すると、霧の中に子供達に囲まれた長身のゲンラが待っていた。なんと総出である。一人一人子供達がハグをする。愛情が体温と共に伝わってくる。たくさんの小さな手が揺れる。「さようなら。」「さようなら。」旅立ちの時。ここはもはや旅先ではない。我々の家になってしまった。

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