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四日目 酒盛り

2022/12/2

7時になると大人の時間。子供は寮に帰る。いそいそと焚き火が炊かれて椅子が丸く囲む。デカいスピーカーが出てきた。カラオケである。ちなみに私はスピーカーが嫌いである。スピーカーは人の声の機微を消してしまう。都合の良いことにスピーカーの接続がうまくいかないらしい。それを良いことに「私はスピーカーは嫌いだ。」と言ったら、みんな地声で歌おうということになった。最初は私、次は由比という指名がかかった。それも「二人の歌」が良いという。考えた末、私が関白宣言を歌い、由比がルージュの伝言を歌うことになった。旦那が結婚する時に俺は偉いぞ宣言をして、その後浮気がばれてエライことになる、というストーリーだと説明したらおおいにウケた。歌詞なんかわかるわけないから適当で良い。ただし声量は大切である。これには自信がある。大いにジャングルの木々を震わせてみせた。みなさんなかなか芸達者である。ハリのある民謡が炎と巻かれながら空に舞い上がる。歌が輪を巡るうちに銀色のヤカンと木の盃が現れた。一人一人違っていて、私のは特大。これはひょっとしてひょっとすると。酒盛り歌が始まった。今時の大学生はやらないが、我々の頃は新入生に酒を無理矢理飲ませる習慣があった。絶えてしまった日本の悪き伝統である。それがここでは生きている。相当危ない。次はインド人の所員ソラジのはずなのであるが、彼は逃げた。ハンカチ王子と我々が呼ぶソラジは、カラオケもお酒も苦手なのだ。メロディーや歌詞こそ違え、この類の歌は皆同じである。狭い音域で唸るような簡単な節をゆっくり幾度か繰り返す間に盃に波波と酒が注がれる。最後の「ダダーン」という掛け声と共に飲み干さねばならない。しかも一回ではない。三回。これも日本の習慣と似ている。手塚家ではお屠蘇を注ぐときも飲むときも三回動作を繰り返す。ダダーン、ダダーン、ダダーン。ただしここではその度に飲み干さねばならない。要はかけつけ三杯である。現地のお酒はチャンという。ドブロクから清酒まであるが全部チャンと呼ぶ。チャンの中にはバンチャン、シンチャンというのがあって、度数が違う。朝から夜まで飲む。人の名前のようで親げであるが、これが結構危ない。私の胃袋は強くて大抵の食事は消化してしまうのであるが、このチャンというのを胃に入れると、我が体の防衛軍が「これは違う!」と騒ぎ出す。チャンは全部自家製であるという。日本で言う密造酒。どうやって作るのかと聞いたら「お母さんの味」であるという。え?それはどういうこと?なるほど各家庭で味が違うわけだ。顕微鏡で見ると多分無数の生物が元気に繊毛をはためかせて泳ぎ回っていると思う。その生態系をどんどん飲む。多分一杯の酒に地球の人口より多い微生物が住んでいる。地球を呑んでいる気分である。つまみが出る。煮豆と唐辛子を酢であえてある。あれ。断食ではなかったのか?そんなことはどうでもいい。

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