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家をつくろうとした

2021/4/28

嬉しいFB記事を見つけたので転載させて頂きます。縁側の家のオーナーさんに頂きました。
手塚貴晴

20数年前、家を作るって決めた。
どうしても作りたい。
しかし、当時は、インターネットの普及はまだで情報は本だった。
知識がないからどんどん本を買い込み雑誌から専門書まで
3年間で大きな本棚3つ分の大量の本を買い読んだ。
仕事が終わってからだから3年間は、ほんとに寝不足であったw
難しいことは、結局、わからなかったが、かっこいい建物は「建築家」がいることを知る。
当時はやっていたイームズの椅子。
イムーズは、建築家であることを知り自邸を見て驚いた。
こりゃかっこいいいって
それでこんな家建てられないかって研究してたらまあ鉄骨とガラスの家だってわかる。
50年代にモダニズム建築というスタイルがあって四角でシンプルで機能主義でものすごくあこがれた。
裏原に正にそんなビルを見つけた。
もううれしくて、飛び込んで聞いたよ建築家
どうやらそこは、建築関係の事務所らしく話聞いたけどなんだかピンとこないのよ。話も難しい感じで、
なんとなく合わない、なんだかマッチョな感じ?うまく言えないけどフィーリングが合わなかった。
でも、もうそこで何かの糸がつながってたの
長くなるから続きはまた。

そもそも、家を作りたいと思ったのは
北イタリアのデザイナーPierangelo d’Agostinの家のテラスで
真冬にご飯をいただいた時の衝撃。
寒いの外で飯って?
アルプスが見える庭で食べたチーズには、蜂蜜、そしてワイン。
外で飯は、気持ちがいい!
いわゆる古民家というか
何百年も前の農家を改装してすんでた。
お風呂なくて
外にシャワー^_^
暖炉があって
まどには、本物のローソクの火がともされてる。
日本じゃ仏壇のローソクしか見た時ない俺
本気で火事にならんかって心配に^_^
イタリア料理は、サイゼリアしか知らなかった俺は、外で食べるヨーロッパの生活に雷撃たれたように震えた(寒いから?)
何もかも豊かすぎて
全て目に入るものが
本物だった。
石と木と鉄と土と煉瓦でできてる家
合板やプラスチックのない
映画で見たヨーロッパの生活があった。
特に「外」と「火」は、知らない世界そのものの象徴だった。
彼のスタジオの椅子は、俺も大好きなセブンチェア
ヤコブセンの椅子、靴は、俺と同じオールデンを愛用してたんだ。

「建築家」とにかくかっこいい家には
必要!
本屋で目につく本を買っては、調べる。
統計的にも時系列にも学べずただ買った本の写真と文字がすべて
どうしたって本が出てるのは
いわゆる「先生」と言われてる巨匠達だった。
もう、死んでる人も多く、コンクリート打ちっぱなしとかなんだか変わった建物?ポストモダン
?なんだよそれって感じで住むというより
作品性が強くて好みじゃなく
新進気鋭の売れっ子達の建物は、奇抜で興味持てなかっだ。
安藤忠雄 磯崎新 丹下健三 妹島和世 青木純隈研吾 藤森さんまで調べ出しもちろコルビジェもしらべだしてベリアンやらヤコブセンの住宅、ライトやレーモンドも惚れ惚れ眺めていた。
どうも、50年代ぐらいのモダンスタイルが好みみたいで
吉村順三や清家清の木造の建物は、何か懐かしいけど新しい感じがしていた。
しかし、昔の建築家でどうしていいのかわからなかった。
気になってた「外」と「火」は、彼らの建物に
水平窓 暖炉や、薪ストーブとしてモダン住宅に取り入れられていた。

Photographer : Katsuhisa Kida / FOTOTECA

決め手は、プロフィール写真と「楽しさ」とパン屋の事務所
「建築家」探しは、続けてた。
ちょうどブータスが住宅特集くんだり、別冊カーサブルータス創刊したりと
なんとなく住宅ブームが起きてる感じの時だった。
とにかく、今の「建築家」を探すために、建築雑誌は、ほとんど目をとうしていた。
しかし、気になるのが、プロフィール写真w
どうも建築家って格好つけて腕くんで斜に構える写真でひどいのはなぜかスタンドカラーのシャツとか着てて
なんだか古くさい「先生」みたいな演出の人が案外多くて、そうゆう人の建物は、やっぱり昭和ぽくて好みじゃなかった。
気になる記事はスクラップしていた。
よく見ると同じ建築家の家が3つあった。
鎌倉の家」「メガホンハウス」「屋根の家
プロフィール写真がいいw。青と赤のTシャツでご夫婦で笑ってる。楽しそうな写真。
何しろ作品も「楽しそう」というかシンプルなのに大胆すぎるほど明快なコンセプト。
「楽しさ」って建築にあるのねって驚きだった。
大窓で「外」に開いて薪ストーブ「火」
椅子は大好きな「セブンチェアー」
愛車は、シトロエン2CV
イギリスで仕事してて外でご飯食べるとおいしいって
きっとこの人達ならわかってくれるって思った。
それが、我が家の建築家 手塚夫妻だ。
緊張して電話した。
指定された住所にいっても事務所が見つからない。
古ぼけたパン屋?
よく学校の近くにある菓子パンやらジュース売ってるあれw
電話するとそこが事務所らしい。
狭い建物の中にぎっしりと若者が働いている。
あまりにも、ボロボロで(笑)
イメージと違ってる後悔(笑)
失敗したかもしれん(笑)
そりゃそうでしょパン屋(笑)
いや、むしろ何か好感も持てたのも事実(笑)
青の人がニコニコして迎えてくれた。手塚貴晴さんだ。
あまり具体的な話はせず、ホワイト餃子の話しと生活の仕方や、車やイタリアの話をした。
その後、テレビの取材もありお二人の作った住宅を見せていただく機会をいただいた。
見たときないような素晴らしい体験で「建築家」の作る建物のすごさを体験させてもらった。
「パン屋の不安」は、いっぺんに吹き飛んだ。
時間をおいて建築案がでた。
なんとその間、打合せすることなくもうできているということに驚いた。
アシスタントの人が持ち物をチェックしに来たぐらい。
我が家は平屋のワンルームという家を設計してもらった。
大胆すぎるシンプルさに驚き感動した。
これに4人家族住めるのか?
まあ、住めるもんで不思議
個室なんかないしw
窓しかないし寒くないのとかさ住んでみてわかるのは建築家の家に住むって古い車に乗るのと似てる。
性能だけじゃない価値
不具合も楽しめないとだめよ建築家の家(笑)
それをまるごとすきにならないと(笑)
いいとこもあるけど悪いとこもあるのよ。
有名な話で安藤忠雄が施主に寒くて生活できないってクレーム言われてたらダウン着てくださいってw
それぐらいの覚悟してくださいって安藤忠雄の作品なんだからって(笑)
いや、住みやすいですよ我が家
最高に満足してます手塚さん。

・・・・というか完成したら起きたことw
一番最初に、飛び込んだ裏原のガラス張りのビルの設計は、なんと手塚夫妻の設計であった。
知らない間に、すでに手塚建築に出会っていた 運命か?
秋田から来たおばあちゃんは、我が家を見て泣いた!
うれしくてじゃなく、
ミカン箱みたいな家で裸電球の家にしか住めない孫がかわいそうで泣いたw。
突然、知らない人が、チャイムならして家見せてってくるw
今でも、ちょっと、現実感ないけど、家を作るって決意した時のあの北イタリアのPierangelo d’Agostin.が我が家に来てくれた。しかも、3回も!
日本の友達だって3回も来てる人ごく僅かなのに!
こんなことってあるだろか?もう仕事の付き合いもない俺に衝撃を与えてくれたイタリア人の彼が3度も我が家に来てくれた。
俺は、英語ができればもっと親しくなれてたかもしれん。
今でも心の中では俺の中のファッションのマエストロ 俺の知っている一番おしゃれな男。
死ぬまでにまた、会いたいな。
震災の時も心配してメールすぐくれたな。
グッと来たよ。
出会ってくれてありがとう。
その後、ジルサンダー のデザイナー2年ぐらいやっててかなり出世しちゃったから気楽に声はかけにくくなったけどwどうしてるだろう?
北イタリアはコロナだいぶひどかったから心配だ。
しかも、それだけで終わらなかった。
手塚建築の施主は、なんというか確信犯ばかりで、面白い人ばかり、その上 個人的なつながりあったりする。
その一人のスタイリストさんが、撮影で我が家に来た時、イタリア人ですごいやさしいデザイナーにあったって話してた。
何気なくジルサンダー?って聞いたら「そう、だけどなんで知ってるすか?」「ダゴスティン?」
えっ????
なんで知ってるのってなんだか盛り上がってしまい。
調子になって彼にコレクションの一つの椅子をあげたw
だいぶ調子に乗ったw
何か点だったものが線になって縁というか繋がり感じちゃってw
遠いイタリアと俺には縁もないジルサンダーっていうトップブランドのデザイナーと足立に住む俺が繋がるなんて
いや、本当に驚いたw
家の自慢したくて毎年 人呼んで飲み会してたけど
準備とかたずけしんどくてもうやってないw
その後、手塚夫妻は、今も話題の佐藤可士和氏と幼稚園を作るが佐藤氏は、嫁の大学時代のクラスメートだったてのも驚くし、何かのパーティーの時も案外お互いよそよそしい感じもちょっと意外な感じw
家を作ることで出会える人があったり特別な体験できて
手塚夫妻には感謝しかないです。
本当にありがとうございます。

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