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怖がるな!

2022/2/21


私は多趣味なアマチュアである。多趣味であるということは、どの分野でも大したことではないということでもある。本気で取り組んでいるプロに対するリスペクトでもある。例えば料理は大好きで日々の研鑽を欠かさないようにしているが、断じてプロではない。プロとは真剣で人生を賭けた職能である。ちょっと料理ができる気がするからと言っていい加減なことを言うと、プロに馬鹿にされる。当然である。私は建築のプロであるから、アマチュアがプロであるように吹聴されるとどうしても腹が立ってしまう。その一方で建築のアマチュアが色々勉強しているのを見聞きすると可愛くなってしまう。アマチュアとプロとの間には、グランドキャニオン並みの絶壁があるのだ。プロを甘くみてはいけない

私は何事も一度突っ込むと際限がなくなる。料理もピアノも時計も水彩もエッセイも自転車も筋トレも。人生がいくらあっても足りない。どの分野でも探求を重ねると深い文化があって、その森にどんどん分け入って帰り道がわからなくなってしまう。料理やピアノについてはもう書いているので、今度はパルサーという時計について書きたい。

パルサーPulsarという時計がある。セイコーのブランドではない。1970年代のハミルトン社が作り上げた、世界初の量産型デジタルクオーツである。この初という宣言については多少の議論があるが、大方の世論はハミルトンのパルサーが初ということに傾いている。(本当はパルサーが初ではなく幾つかの先例が存在する。)赤いLEDが深いミネラルガラスの奥でひっそりと光って時刻を知らせる。液晶とは違いLEDは電池を食うので、横に突き出しているボタンを押した時だけ点灯する。美しいが不便極まりない。この時計の歴史は、スタンリーキューブリックのチームが2001年宇宙の旅の為に、ハミルトン社へ未来型時計の設計を依頼した出来事に始まる。当時のハミルトン社にデジタルの技術はなく、映画のセットの為にそれなりの未来風デジタルのセットを作って誤魔化して終わった。しかしハミルトン社はえらい。そこで止まらず、本当のデジタル腕時計を作り上げるべくプロジェクトを立ち上げた。そしてついに1972年にP1と後々呼ばれるLEDの時計を作り上げた。ベゼルは純金。ただし本当に高価なのはその金塊ではなく、その中身の電子サーキットにあった。生産台数は400台だけ。エルビスプレスリーやジャックニコルソンなどのスーパースターだけが購入できるとんでもなく高価な時計となった。しかし悲しいことに、未熟な技術で無理矢理作り上げた仕組みは、全て壊れてしまう。それでもめげることなくパルサー社はP2を作り上げ面目躍如をする。P2は高価ではあるが、現在の価格で20万円程度。ちょっと無理をすれば一般人でも買える価格となった。劇的なデビューを果たし大成功を収めた。ティファニーは自社ロゴ入りで売り出した。その未来的デザインは007のジェームスボンドやフォード大統領の腕に現れ、ステイタスシンボルともなった。その後P3 P4 P5と続く。しかしその栄光は長く続かなかった。LEDは元来コンピューターの技術である。よってITメーカーは既に遥かに優れた技術を持っている。価格競争力もある。IT各社の参入により劇的にLED時計の価格は1/10以下に下がってしまった。加えて後発の液晶型クオーツを成功させたセイコーにより、LEDそのものが市場から駆逐。結局ハミルトン社はスイスに身売り、パルサーというブランド名はセイコーに売却されてしまう。

私がパルサーに出会ったのは1988年。ペンシルバニア大学留学時代のフィラデルフィアの小さな店。その特異なデザインと機能に私は魅せられてしまった。確か50ドル程度であったとおもう。悲しいかなその時計はあっという間に壊れてしまった。今は知っているが、ハミルトン社の初期の時計には多くの欠陥があった。泳いでも空手をしても壊れないというのが売りであったが、実際には振動に弱くちょっとの水でもショートを起こした。加えて専用電池が発売中止。倒産するはずである。

私はそのオリジナルのハミルトンパルサーを沢山所有している。今でも未来的なデザインが人をひきつけ、復刻版も登場している。ただし私は復刻版には興味がない。オリジナル以外は偽物である。世の中には高価な完全品がオークションにて沢山見受けられるが、私はちょっと壊れている方を買う。壊れているということは二束三文である。それを分解して治す。電子サーキットは直せないので、ロンドンにある専門会社に修理を依頼する。手間がかかる。なおしてもまた壊れる。そこがまたおもしろい。アマチュアである限り責任はない。生業とする仕事でこれはできない。出来の悪い子ほど可愛いと言うがそれである。

欠陥品である。なぜこんな馬鹿な物に興味があるのかと常におもう。私は時計そのものではなく、時計の向こうにあるフロンティアスピリッツを見ているのだ。新しい試みには常にリスクが伴う。リスクは怖い。だからなかなか仕事としては手を出せない。現在の日本社会は失敗を許さない社会になっている。しかし新しい地平を模索する時、リスクを犯さなければ進歩はない。建築で新しい試みをする時には勇気がいる。プロであるから徹底的な検証をする。それでも危ないと思うと、どうしても手が止まる。その時腕にはまっているパルサーが言う。「怖がるな!」
https://youtu.be/a5szJYA_z44


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