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Amazing Grace by Tomoe Sawa at Higashi Yahata Christ Church 教会の音

2017/11/20

本日は軒の教会にてシンガーソングライター沢知恵さんがアメージンググレースを歌った。
地声のみのソロ。心が震えた。倍音が効いている。
倍音というのは、本来の音階に混じって発せられる本来の周波数の数倍あるいは倍数分の一の音のことで、
人間の声には自然と含まれている。 倍音が多く含まれていると厚みが増す。
アメージンググレースというのは誰もが知る定番の曲であるが、幾度聞いても感動が失われることがない。
教会の質は音に寄るところが大きい。とても難しい。
牧師さんのお話を明瞭に聞き取る為には会議室のような残響時間が短い空間でなければならない。
しかし教会は会議室では困るのである。 神聖な祈りの場を生むためにはある程の反響がなければならない。
単に1人で祈り神の声を待つだけであれば、衣擦れ音が響くほどに残ったほうがいい。
同時に教会は音楽の場である。音楽は響きすぎても明瞭すぎてもいけない。
しかも本当は楽器や曲目によって違うのである。
元来ピアノは大きなホールで弾くものではないと思っている。
ピアノの高音が綺麗に響くのはせいぜい10メートルである。
聖歌は神々しく教会のように木霊するべきである。
パイプオルガンの重低音を跳ね返す為には、重量のある物質が控えていなければならない。
残響を変化させる仕掛けが必要なのだ。教会の残響は人の入りによっても変わる。
人の服が音を吸収するからである。

平行に向き合う面が引き起こすフラッターエコーは危険である。 音が混ざることがなく唸りになってしまう。
東八幡教会の壁の内壁は外壁と同じく下見板である。 大きな板が傾いている。
天井の傾きも細かい永田音響による検討の結果生まれた産物である。

教会の設計は楽器を作ることと似ている。 先日盲目のインテリアデザイナーとロンドンで出会った。
目以外の4感を駆使して空間を感じるのだという。 礼拝の椅子に腰掛け目を瞑り聖歌に浸る。
確かに光は無くとも空間は存在する。
耳からだけではなく、服の生地を抜け皮膚を震わせ音は体に染み込んでくる。
周りに座る人々の気配を感じる。 そして人以外の何か心を震わせる何かが存在する。

“手塚貴晴Facebookページ(2017/11/5)”

2017年11月5日
手塚貴晴

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