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“Not necessary to be perfect but try to be good”

2025/2/11

ドバイに作る実験的な学校である。対象年齢は3歳から18歳までであるが、当初は8際以下の30人程度。最終的には80人程度になる。この学校で新しい教育を試し、その結果を手がかりに同様の学校を増やして行くという。
ドバイは驚くべく都市である。世界に比類ない速度で発展を遂げた。僅か四半世紀前はしばしば停電も起きていたという。石油もとれない砂漠の小さな都市である。人口は300万人に過ぎない。それが今や世界で最も高い超高層が聳え、海には美しい未来都市に育っている。無論多少の歪みはある。階級社会でもある。歩いていて決して気持ちのよい都市ではない。しかしそれらの問題はいずれ解消されるであろうという期待がある。ドバイは若い。多少の問題は成長痛に過ぎない。
殿下は「完全でなくてもよい。良きを目指せ。」と仰られた。“Not necessary to be perfect but try to be good” 。現場の視察にはいらしゃっているそうであるが、渡航の時期が合わず私は殿下に直接お目にかかる機会を得ていない。お付きの方々介してのメッセージに過ぎない。しかし私はその賢明なメッセージに心を動かされた。日本は体制が古く、なかなか新しい試みが進まない。リスクを恐れるのである。世の中に完全はあり得ない。人は間違いを必ずしでかす。間違えない人間など存在しない。私自身も間違いだらけの人生である。日本では間違いが起きると、まず犯人探しが始まる。些細な問題を巨大に拡大し、新しい試みそのものが間違いではあったかのように徹底的に書き立てるマスコミュニケーションがある。それを支えるSMSがある。恐るべきはSMSが裁判所であるかのように振る舞う。真犯人であろうとなかろうと、徹底的に制裁を加える。新しい試みも潰れてゆく。人々は間違いを恐れる。
ここドバイの少なくともこのプロジェクトにはその悲劇がなかった。第一期は僅か三ヶ月の工期。無数の間違いが起きた。その度にDon’t worry we will fix this later.という言葉がどこからともなく降りてきた。その裏には「全ての責任は余にある。恐れるな。」という神のような殿下の意思がある。ここで、「日本もドバイのようになれば良い。」とは言わない。日本には日本の事情があり、変わらないことの良さもある。しかし、このプロジェクトは殿下の比類なきリーダーシップがあってこそ成立した試みであることは間違いがない。大変な現場であるのに誰も怒っていなかった。常に笑顔に溢れていた。問題は竣工後に八割程度修正された。
昨日ほぼ完成した学校に行った。ほぼと言うのは既に子供達が通っているからである。大歓迎を受けた。先生のほとんどは女性。イスラムの国であるから、男女間の握手はない。もちろんハグなどありえない。それでも笑顔がスカーフの下から噴水のように溢れ出していた。音楽パヴィリオンの完成を見た時は泣いた先生もいたと聞かされた。全ての人。子供達も先生も事務スタッフもこの上なく幸せそうに見えた。庭に出ると海外からの出稼ぎにきた人々がいた。窓拭きの人がいた。インドからの出稼ぎにきている方達が、忙しい手を止めて、沢山の握手をしてくれた。あらゆるところで笑顔が溢れていた。どこへ行っても「ハロー、テヅカサン」。もしかすると私は裏側が見えていないのかもしれない。しかし昨日私がこの上なく幸福であったことは確かである。互いに間違いを認め助け合う。素晴らしいことである。またこの国に戻りたい。

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