軒の話

「軒を貸して母屋をとられる」ということわざがありますけど、昔は軒を貸して、母屋に人を入れる習慣があったから、それが成立していたんです。ところが、ある時から軒のある家がなくなってしまって。コンビニの建物だって軒をなくしなさい、なんて平気なことを言う人たちがたくさんいて。
軒に、行き場のない中学生がたむろする。じゃ、どうして、その中学生がたむろしないといけないのか、ほんとは、その理由をちゃんと考えてあげないといけなくて。軒がなくなったら、どこか別の所に行くだけだから。
公園にも東屋がなくなっている。東屋で寝ている人がいる、というのは、東屋にいないといけない社会構造になっているからで、そういう場所を一方的になくしていくと、町も、社会もどんどん貧しくなっていく。1960年代、70年代の都市計画から、みんな軒をやめてツルツルの建物にしちゃった。

一番悪い例は、西新宿の超高層群だと思うんです。グリット状になって、道路が立体交差になって、人が歩くところはすさんだ風が吹いていて、ぜんぜん落ち着かない。建物が全部、外にそっぽをむいて閉じちゃっている。昔の町の建物は、入り口があって、そこから町が展開されていたんです。手塚商会なんて、まさしくそういう建物でした。人を迎え入れるような造りで。大手をふるって、町にようこそという感じの建物が、今は少なくなってしまった感じです。

その軒がらみの話ですが、東八幡のキリスト教会の建物をつくる時、牧師の奥田知志さんと話をしていて、軒のある建物にしようとなったんです。軒に、困った人がやって来て、その中でも外でもない空間で、だんだん中との関係が保っていけるようになればいいねって。

ふっとした、こういうことに気がつくようになったのも、海外に行く機会が多くなったからです。

ここ数年、夏に僕たちは毎年クロアチアのグロズニャンという都市で、国際ワークショップをやっているんです。山の上の城壁都市に、いろいろな国の人が集まってきて、建築を教える。その地域にロッチアイという、町の人が集まる場所があって、ここは行政府ではないんですよ。なんとなくみんなが来て、いろんな話をしたりする。ここを見た時に、なんだか懐かしいなと。日本にも、こんな場所が昔あったなって。僕が小さい時、公園とかにそういうものがあって、いつのまにかなくなっちゃった。そして建物から軒がなくなって、雨水が通るルーバだけになっちゃった。軒がないから雨宿りする場所も、なくなっちゃった。これはいかんことだなって思っています。