ふじようちえんと円相

お坊さんみたいな話をしますが、円相というのは「無」です。無であるということは、いろいろなものを受け入れられるってこと。○(マル)と書くと、ふじようちえんはまさにその円相、城壁みたいに囲いこんでいる建物のようにも見えます。それを真似たような建物がたくさん建っているみたいですが、ふじようちえんはそれらとは違っていて、いろんなものを受け入れるための無の空間なんです。

ふじようちえんの真ん中は何もない原っぱになっていて、それがすごく大事なこと。円というのはキャンプファイヤーと似ていて、キャンプファイヤーの真ん中に人はいない、火で熱いから。その円の周りにいる人はみな平等、インタラクティブで多様な関係ができあがっていきます。それがふじようちえんのおもしろいところで、一つの集合帯の中で部屋と部屋の境界もない。中と外の区別がないってことが大事なんです。

ほかにもふじようちえんがよその幼稚園と違うことは、園長室という部屋はなくて入り口にテーブルと椅子があって、そこから園長先生が「おはよう!」と子どもたちに声をかけます。園長先生と子どもたちは同じ輪の中にいる。また、いろんな国の子どもや障害をもった子どももみんな一緒、お互をお互いが認めあい、思いやれるような相互関係がうまれ、ヒエラルキーという概念もありません。

自然界で起こることはちゃんと意味があって、虫を殺せば、こっちでは野鳥が死ぬかもしれない。そういうふうに全部が互いに関係しあって、ほんらい地球はそういう存在なはずなのに、ある時からそれを人間が忘れてしまい、一番偉くなってヒエラルキーをつくっていった。地球温暖化の問題も、そういう中で起きてきたことです。ふじようちえんは、そういうものを体現しているところだよねと人から言われ「あっ、そうなのか」と僕が気づかされ、そういうことが上手くいっている場なんだろうと思います。

そうそう、ふじようちえんに風水師の人が来た時、「風水に従ってよくできていますね」と言われたことがあって。こっちから何とかの竜がでてきて、こっちにどういう竜がきてとか説明をされて「風水をよく知っている人に頼んだんですね」と。園長先生も僕もその場で「そうなんですよ」と答えましたけど。後で、さすが園長先生!と言う話になり、つまり園長先生が言っていることは、風水の教えと非常に近かったんだと思うんです。物事の関係をあたりまえに考えていくと、風水のいっていることと同じなったという話で、ふじようちえんは、ただ一つの円相なんですよ。