建築家は、料理好きが多い

貴晴
建築家は料理をする人が多いという話をしたいと思います。建築家って忙しかったりするので、料理をしたくてもなかなかできなかったりするんですけど、コロナ禍になって海外や地方に行けなくなり、その分の時間で料理をする人も増え、僕もその中の一人です。それでSNSに料理レシピを長々と書いてみたら、知り合いがそれを見て「建築家・手塚貴晴のハンバーグを作る」という料理動画を録ってユーチューブにあげた人もいます。エプロンをかけるところからはじまって、玉ねぎを刻んで炒め、肉をこねて焼くまで延々と。じつはその人、アジア建築協会の会長さんで、ハーバード大学出の偉い人なんです。その会長さんが喜々として料理をやっていて、再生回数もすごい数で。

建築と料理って、すごい似ている部分が多いなって思っていて、どちらもないと人間は困るものでしょ。寒くても暑くても、家がないと人間は生きていけない。よく言われることは人間の文化の長さと、建築の文化の長さは同じだと。火を熾した時から人間になったというけど、それはウソだと僕は思っていて。もしくは道具を使いはじめたのは人間だって。それもウソ、建築をつくりはじめたとき、人間が人間になったんだと思う。文明をつくり、人間になったんだと思う。 遺跡とか見ても建築者は出てこないですよね。文明を定義できないからだけど、雨風がしのげて最低限の機能を満たせるだけなら何でもいい。だけど、みんな余計なことをするでしょ。ちょっと飾りを付けてみたり、外側にルーバーを付けたり。必要なものもあるけど、何かを付け加えたい気持ちがそこにあるわけです。
おもしろいのは、自分のためにそれを加えるのではなく、人のためにという思いから。いくら飾っても、誰も見てくれなかったら意味がないし、ちょっとカッコイイのを作って得意な気持ちになるかもしれないけど、砂漠の真ん中で自分ひとりだったら、やらないでしょ。誰かが見てくれたり、使ってくれたらうれしいという気持ちになる。建築って何かというと、サービス業ですよ。建築設計は特にそうなんだけど、建物をつくって、人に喜んでもらって笑顔が見られるとうれしい。誰かが「自分の幸せの度合いは、人の幸せと必ずイコールだ」って言っていたけど、ほんと、そうだなって。

料理も同じですよ、自分ひとりの朝ごはんは、凝った料理は作らないでしょ。納豆と卵ですましちゃう。僕も結婚して二人になって料理を作ろうと思ったし、子どもができたら鮭を焼いて、卵焼きも作ろう。みそ汁も作ろう。何のためにやるかというと、相手が幸せな顔をしてくれるに違いないと思うからなんですよね。