99%の雑用と1%の喜び

僕はいろんなシェフと話しをすることも多くて、仕事の話なんかを聞いていると、あんなに儲からない商売はないと思っていて。高級と言われる料理を作っている人でも、朝4時頃から起きて準備をはじめ、仕事が終わって寝るのは24時頃、睡眠時間は4時間ほどしかないんです。
僕らが食べに行く鮨屋の親父さんもそうで、すごくうまい鮨を出してくれるけど、お金のことを考えたらバカバカしくてやってられないほどの仕事量。建築設計も効率の悪い仕事だと思うけど、それをも上回るほど、どんなに計算をしても効率が悪い仕事だと思う、チェーン店でない限りね。
でも、人を幸せな気持ちにさせてくれる素晴らしい職業だなって。料理人が一生懸命作るから、食べる人にもそれが伝わってきてうれしい。だって、おいしいんだから! 僕がよく行くお店のシェフも、忙しいのにわざわざ料理の説明をしてくれたりする時のその顔が、じつにうれしそうで。あの人たちは、人のために作っていて、自分がうれしくなるからやっているんだなって。相互の関係性があって、作る側も、食べた側も幸せになれるんです。

建築も同じです。でも、その関係性をときどき、理解してもらえない場合もあって、「建築家は、自分の好きなものを作っているんだろう」と。大学生の頃、「建築家というのは、施主の要求条件があって、そのせめぎ合いの中で、どこまで自分のやりたいことをやっているか」と言う話があって、それはとんでもない間違いです。料理人が自分のやりたいことだけやって、食べる人がどこまで我慢するか、そんなバカな話はないでしょ。両者が幸せにならないと。そういう当たり前のギブ・アンド・テイクの関係が建築にもあると僕は思っています。

僕が仕事の依頼を受けて一番がっかりするのは、「手塚さんは、好きな建物をつくっていていいよね」って言われてしまうこと。ごくたまに、そう人にめぐり会います。「それじゃ、あなたは幸せにならないじゃないですか」と言う話をして、うちの事務所でないほうがいいですよね、とお引き取りいただくんですが。
僕らに限らず、建築家はみんな必死になって、いいものを提供しようとしています。損得勘定抜きで、相手がニコッとするその瞬間を想像しながら。幼稚園、保育園をつくる時は、そこにいる子どもの笑顔を楽しみに。99%の雑用と1%の喜び、その1%の喜びの瞬間があるから、こうやって仕事が続けられてきた。「建築家は自分のためにつくっているようで、自分のためにつくっているんじゃない」とわかってもらうのが大変な時もありますが、そこを理解してもらうと、とても幸せな関係ができると思っています。