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アーメダバード

2025/3/5

アーメダバードは1411年にグジャラート スルタン朝が定めた首都である。その歴史は、エジプトより古い都市を数多く抱えるインドにおいて、特筆すべき事項ではない。大自然という観点から見ればその僅かな瞬間に、アーメダバードの土地の水を人類は吸い尽くしてしまった。人類による自然破壊は産業革命に始まった事件ではないのである。耕作地は一見すると美しいランドスケープに見える。その実、耕作地とは人が効率的に日々の糧を得るために自然から収奪した爪痕でもある。耕作地を作るとき影を落とす樹木は不要である。樹木に覆われていない耕作地の地表は乾く。だから水をどこからか常に曳く必要がある。落ち葉が降り積り虫とバクテリアが腐葉土を育む林床とは違い、耕作地に保水力はない。その帰結としてアーメダバードの地下水位は深さ30メートルにまで下がってしまった。政府はその乾いた大地に水を遮二無二導き800万の人口を養っている。

その土に学校を作ることになった。インドにはヴァストゥシャーストラVaastu Shastraという概念がある。ヴァストゥはサンスクリット語では建築や住居を表し広義では生命力や環境を表すと言う。起源は古く、紀元前2500ごろに建設されたモヘンジョダロの遺跡さえもヴァストゥに従っているという。中国から日本に伝来した風水というという概念があるが、ヴァストゥはそれよりも実用に近く、環境工学や都市工学の体を成している。インドにおける人々を律する概念はヴェーダが知られている。ヴェーダはヒンドゥー教やバラモン教の聖典であるが、現代における宗教の定義を遥かに超え、生きる為の手引書として人々を導いている。聖典としてのヴェーダ紀元前1000年から500年ごろに編纂されたと言われているが、ヴァストゥシャーストラの概念はそれより数千年以上古い。言い換えればヴェーダという聖典は、口述されてきたヴァストゥシャーストラを醸成し文章としてまとめ上げた哲学と言って良い。日本では風土という概念がある。日本の文字文化の歴史は極めて浅く、インドのそれとは比較のしようも無いが、この風土という概念がヴァストゥシャーストラに極めて近い。人が文明を築く前から存在している八百万の神の存在を感じ、自らのあるべき位置を模索する態度である。このヴァストゥシャーストラから始まりヴェーダとして編み上げられた悠久の習慣を現代の知恵として再解釈し、宗教を超えた科学的概念として教育に活かそうという学校が生まれようとしている。資本はインドと日本の産業界である。文明の発祥の地と伝来の終着点が今繋がろうとしている。

建築の前に先づ自然がある。自然はすでに人に消費され尽くししている。立て直さねばならない。ヴァストゥシャーストラの知恵を借り建物の場所を探す。地中深く沈んでいる水系をあるべき深さに戻す。風を読み建物が建つべく場所探す。細やかな土地の起伏を戻し、水を溜め時間をかけて大地に返す。水溜まりはエコトーンを形成し豊かな生態系を作る。蚊の繁殖は大きな問題であるが、薬剤に頼らず自然界の持つ捕食-被捕食の関係を作り上げる。本体の建物はマザーシップと呼ぶ。生き物が共生するように、5教室がクラスターを作り、そのクラスターが集まり一つのコロニーを作り上げる。再生された自然の恵みは採取され子供達の食となる。畑ではない。森の恵みである。自然の中でどこで生命が育ち食物として届けられているのかを学ぶ。日々の教育は自然体としての人を作り上げるべく学びである。与えられた自分を理解し自然の中での位置を感じる。知識を超え知恵を育み命を見つめる新しい教育がここに生まれる。

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