物にはあるべき姿がある。豪華絢爛な孔雀の羽根には求愛のロマンスが。白炎のようにお巻き上がるホネガイの棘には防御という機能がある。全ての生物は環境に呼応して最も合理的な形をしている。生存競争に生き抜くためには、無駄など許されない。生物の形態に美を覚えるのは、全てにありうるべく理由があるからである。
建築も同様で、美しい建築にはありうるべき姿というものがある。その姿を決定する上の最大要素が構造である。構造は歩き回らないから、動物とは違い筋肉がない。骨格に外壁という側が貼り付くと、ボリュームの外形はほぼ決まる。壮大なゴシック教会の中に聳えるヴォールト天井はその至高にある。その美しさに説明は要らない。構造から導き出された形態が奏でる物語には無理がなく、同様に自然の子供である人間は本能的に親しみと畏敬の念を抑えられないからである。ル・コルビュジエは外壁を構造体から解放したという。その業績をもってル・コルビュジェは近代建築の神に列せられた。しかし本当のところ、ル・コルビュジェ自身も構造体から解放されたりはしていない。解放されたりはフリをしていただけである。サヴォア邸にもちゃんと耐力壁は存在している。


