私が通っていた頃、武蔵工業大学の建築学科はボロであった。ほぼ廃墟であった。かつての名モダニズム建築であると先輩は言っていたが、その片鱗は全く感じられなかった。今であれば既存不適格である。山間の温泉宿のように増築を繰り返し続けてきた結果、継ぎ目ごとに隙間が生じていて、簾のように雨が滴っていた。そこにあって分不相応な程に自尊心の高い学生達が集まっていた。私立大学にしては学費が異常な程に安かった。東急グループの補助があったからであろう。私立大学の雄としていた早稲田と国立大学の学費のちょうど中間ぐらいであったように思う。国立に入り損ねたが浪人する訳にも行かない。そういう落武者の吹き溜まりのようにみえた。
当時の大学には広瀬鎌二教授という神が居た。今の大学教授のように手取り足取り学生の面倒など見ない。神殿の奥に鎮座する依代である。暗い研究室の奥で神々しいオーラを落ち窪んだ眼窩から放っていた。当時としては珍しい見上げるような背。薄い肉が頬骨に貼り付いたミニマリズム。人格だけではなく骨相そのものが氏の作る建築と一貫性を保っていた。今思えば不思議な授業であった。「1ミリの間に5本線をひけるようになりなさい。」と言う。カラス口でひたすら百本以上の横線を引く。今の学生は聞いたこともないであろうが、カラス口と言うのは、研ぎ澄ました2枚のナイフをネジで引き寄せた構造で、紙に薄い溝を二本切り込みながらインクを流し込む道具である。
担当の設計の授業に教授は全く現れない。その代わりSH-1という教授本人の作品を描いたラインパースをひたすら模写させる。これが一日かけても終わらない。原画を描いた本人は思うがままに書いているから早い。しかし模写となると意味もわからず線をそろそろと真似しなければいけないから異様に時間がかかる。写経のような作業を繰り返す授業である。写経は「身体で経を読む」行であり、文字を通じて仏法を体現する行為であるという。重要なのは、経を“理解する”ことではなく、経と一体になること。「書く者」と「書かれる経」が区別を超えてひとつになる境地。即ち一如。さて建築で線と一体になって何が生まれるのか。学生達は、意味もわからず「建築の道とこういうものか?」と疑問を抱きつつ、呆然と無の境地を彷徨う。不思議なことに、そういう吹き溜まりで日本建築学会作品賞の作家が6人育った。
現在の東京都市大学の教育は実に手厚い。建物も実に立派である。多分建築学科棟としては日本一であろう。教員はどんなにいい加減なスケッチであろうとも、なんとか道を見い出して指導をする。決して見捨てない。しかし世の中は甘くない。現実の社会には無数の神がいて、建築家は雷が落ちぬよう恐る恐る生きている。近年時々思う。一度私も神の如く理不尽な授業をしてみたい。その方が学生の為になるのではないかと。




