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広瀬鎌二 神のような教授2

2025/10/20

広瀬教授は不思議なマイクの使い方をしていた。東洋建築史の授業である。授業時間になると、ゆらりと長身を鴨居の下に潜らせる。決して急がない。数分の静寂のあと、序曲のように静かな授業が始まる。あまり学生は居ない。序曲が静寂すぎて聞こえないからである。広瀬教授はマイクを手に持たない。胸ポケットに入れて話す。しかし胸ポケットはマイクホルダーでないから、あらぬ方向を向いている。よってほとんど役に立たない。胸元で咳払いだけを拾っている。「先生。聞こえません。」というと。「聞こえない者は聞かなくてよろしい。」「・・・・・・」学生は反論の余地がない。だから授業開始から四半時もすると、学生達の大半が机の上に突っ伏して寝てしまう。理想的な睡眠BGMである。睡眠学習といっても良い。しかし神様である。そんな凡俗の雑事は気にしない。

私はその授業が意外な程に好きであった。一番前に座っても、教授から半径3メートルまでしか聞こえない。必修なのであるが完全な選択授業になってしまう。だから教授も体系だって歴史順に教えたりはしない。興味のあるところからおもむろに話し始め、気がついたら法隆寺の話をしているはずが軽量鉄骨の話に化けている。当時の私の理解力を超えていたが、多分「同じような合理性があるのだ」という説明であったと思う。さらに万華鏡のような授業は回り続ける。

当時教授は「肆木の家」という住宅を設計施工していた。設計と言わないのは、学生達と作るからである。「肆木の家」と言うのは、日本建築の叡智を結集した教授の自邸である。肆と言うのは「想うがままに」という意味だそうである。その詳細が凄い。教授の想うがままに追求した嵌合結合は、拘りに鍛えられて削りに削られ複雑怪奇な寄木細工と化し痩せ細っていた。複雑すぎ繊細すぎて実用にはならない。折れてしまう。しかし教授はそんなことは気にしない。その心は作家であって大工ではない。研ぎ澄まされた美学が指標である。その神のご意志のままに、研究室の学生達は手伝う。

私は広瀬鎌二教授の研究室に入らなかった。入ったのは鈴木一教授という論文主体の研究室である。広瀬鎌二先生にはかなり可愛がって頂いたと思う。広瀬先生の研究室に入らなかったのは実に申し訳なかった。後悔もした。しかし私は恐れた。広瀬鎌二は高みにあって、一つの宗教の体をなしていた。深い洞穴である。しかし今でも思うことがある。もしあの尊敬する神の研究室に入っていたらどうなっていたのだろうと。別の道が開けていたに違いない。

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