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知輪・馬蹄庵

2026/8/30

本日 オープンハウス 

森を捕まえる 

熱海は箱根外輪山から湧き出た温泉の町である。谷は十国峠に発し、天水は森へと降る。水は地中深くの保水層に抱かれながら糸川水系となって現れ、やがて藍色の熱海湾へと下る。敷地はその上流の支谷筋に面している。谷の向こうには手付かずの森が茂り、幽玄な影を絶えず描き続けている。樹木の神、五十猛命を祀る来宮神社を育てた糸川水系を遡った先にこの庵はある。庵と称するのは、日々の生活を営む本宅ではなく、客人を迎え入れるための別邸だからである。 

苔生した石組みが敷地の中程を横切る。二メートルほどの段差は葉陰の天蓋に覆われ、その足元で細菌叢と菌糸が静かに地中の織物を編み続けている。谷は落葉が長い歳月をかけて醸された柔らかな腐植に覆われ、水はその下を走り、殆ど姿を見せない。敷地の中程に横たわる大岩には素掘の祠が刻まれている。楸の根に覆われつつあるその祠の来歴は定かでない。馬蹄形の建築はその苔生した大岩を懐に抱き込みながら、敷地の高低差をつなぎ、穏やかな螺旋を描いている。雨は低く伸びた軒先を伝い、切先から銀色の滴と成って大地へ帰る。屋根もまた天水を集める装置である。熱海には至る所から温泉が湧き出て匂う。ここは水を介して天地が出会う場所である。湾曲する大壁に穿たれた入口を抜けると、深い軒下へ導かれる。そこには現世とは異なる時が流れている。太古の昔からこの谷に宿り続けてきた生命の気配が濃密に漂い、来訪者を静かに包み込むのである。 

庵の大半は軒下である。緩やかな螺旋階段は軒下に入り込んだ造園と言って良い。この屋根が建物であるのか東屋であるのかは曖昧なままである。内陣は玄関を介して二手に分かれている。上段の間は寝室である。高台ではあるが海は見えない。糸川の谷筋を頼りに立ち登る海風が、梢を微かに揺らし潮を届けるばかりである。寝室の奥には瓢箪型の浴槽が埋まっている。身を地に低く沈め、森の暁光を嗜む仕掛けである。下段の間には厨房とダイニングがある。友人たちが集い料理を振る舞い合うサロンになる予定である。軒先には地衣類に黒々と覆われた巌が立ち塞がり、静寂な雫を滴らせている。 

木造の螺旋である。自由曲面ではあるが、奇を衒わず木構造の慣わしに従った。内側の桁行方向には梁がない。外側の桁行方向に十分な耐力壁があり、梁間方向に控え壁が細かく生えて強度を保っているからである。庭に並ぶ列柱は軸力のみを負担している。そもそもこの地は無数の命を育んでいる。その朴訥な構造が蝶の翅のような幾何学を描いたとしても、それは帰結に過ぎない。

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