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開かれた輪 音について。

2025/8/8

ふじようちえんには境界がない。外壁も無ければ、仕切り壁もない。極寒や灼熱を凌ぐ為に、やむを得ずガラス引き戸を引き廻してはあるが、ふじようちえんの園舎は一枚の屋根に過ぎない。外である。しかしここで語る要点はそこにはない。その物理的状況によって生まれる、新しい定理にこそ本質がある。

教室の間の遮音がないということは不便である。ふじようちえんの教室間には壁がなく、家具が緩やかな境界を作っている。音は筒抜けである。隣の教室で歌を歌うと、隣の教室ではそのまま聞こえてしまう。普通の幼稚園であればこれを不都合あるいは不便と捉えて壁で閉じてしまうのであるが、ふじようちえんはそれをしない。不都合がないわけではないが、何とかやりくりをしている。答えはバックグラウンドノイズにある。この遮音の問題がもし隣り合う2教室間であれば、この状況は成立しないかもしれない。しかし、ふじようちえんは大きい。この楕円の本園舎だけでも600人を超える子ども達が、一つの屋根の下で学んでいる。隣の教室の向こうには更に隣の教室があり、その向こうにも延々と教室が続いている。一つの教室からの音は意味を伴う信号となるが、それが重なり合うと街の中の自然な音のようにバックグラウンドになる。外であるから、音は外と中との間で筒抜けである。外の音もバックグラウンドノイズの一部となる。

音の問題を一つの教室の問題として解こうとすると解決に至らない。人の耳は想像以上に敏感である。静かな砂漠では、5キロ離れていても互いに会話ができる。ホテルの廊下では、防音扉の向こうの個室の会話が聞こえる。しかし、人間は優れたノイズキャンセリングシステムを脳内に備えている。雑音の中で、必要な信号だけを見付け出す能力である。健全なバックグラウンドノイズの中であれば、少々煩くても人は会話ができる。バーの喧騒の中でも人が会話できるのは、人に生来備わっているノイズキャンセリング機能のおかげである。閉じるのではなく開くことによって解決する。

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