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この素晴らしきロクデナシども(bossの広告に寄せて)

2023/2/15

人は自然の中で生きてゆくことはできない。人間は極めて弱い動物である。世の中の殆ど全ての生き物は、自然界に存在する事物をそのまま食して生きる。極めて人間に近いと言われているチンパンジーでさえ、木の皮や木の葉をそのまま食べ消化できる。その地球上の構成員であれば当然の営みが人間にはできない。例えゴルゴ13であろうとも、米軍の特殊部隊員であろうとも、木の皮や木の葉を食べたら下痢をする。クマやサルにとってご馳走の塊の森の中で人は飢えて死んでしまう。アウトドアグッズを私は揃えているから大丈夫と主張する方々もいるが、人間以外の動物は身一つあれば充分。モンベルやスノーピークのコッヘルとバーナーをナップザックに詰めて担いでる猿など一匹もいない。人は煮炊きした物しか消化できないのである。「サラダやタルタルステーキを私は食べる」との主張もある。しかしサラダにできる葉は極めて限られているし、野の動物はそう簡単にタルタルステーキになってくれない。うさぎのような小動物でさえ、ノロマな人間にはそう簡単に捕まらない。クマに出会えばタルタルステーキになるのは人間の方である。人は森で暮らすことができない。家が必要である。なるほど森の環境にも快適な時はあろう。木漏れ日を浴びながら木の匂いを嗅ぎ時を忘れまどろむと快適に違いない。しかし現実は甘くない。ほんの数時間冷たい雨風に打たれるだけで、人間という弱い動物は肺炎を患ってしまう。

人は自然なしに生きることができない。人は自然の一部として活かされている。現代人が人間と思っている人体の細胞や骨は、人間という生命体のほんの一部に過ぎない。正確に表現すれば、人間は無数の生命の集合体である。人が眼にする細胞と称する物体は家のような箱にすぎず、生命の営みは別にある。一人一人の人体に住まう生命体の数は、その細胞の数を遥かに凌駕する。その数はその研究者によって数倍から数十倍まで上下するが、人体を構成する要素の大多数であることは間違いがない。腸の内容物を分解するのは菌であるし、細胞の中にあってその栄養をエネルギーとするのはミトコンドリアである。そもそもミトコンドリアが細胞に巣食う前、我々が生命体であったかどうかも怪しい。

我々の皮膚は内外の菌のバランスを保つ国境に過ぎない。その菌の多様性は無限である。菌には悪玉も善玉もあると言われる。しかしながら実のところ菌に倫理観などあるわけがない。悪玉と言われる菌にも実は役割がある。

この先は赤旗という雑誌から依頼されたエッセイの抜粋である。

トミーリージョンズが登場したコーヒーの宣伝で、「この素晴らしきロクデナシ」というキャッチコピーがあった。人体はそれである。世の中は一見するとロクデモナシが集まって毎日ロクデモナイ騒ぎを起こしているが、全体として見るとなんとなく全体が機能している。諸説あるがみなさんが人を構成していると思っている細胞は、本当の人全体にある生命体の10パーセントにも満たない。数だけで計算すれば1パーセントにもならない。大半は細菌やバクテリアである。その大半の役割を我々はわかっていないし、わかることも出来ないほどその数は多い。時々そのロクデナシは問題をしでかす。それを取り締まり仲裁をするのが免疫システムである。しかし人間はこのロクデナシ達なしに消化することも動くことも熱を作り出すこともできない。このバイキンは人体の中だけではない。人が暮らす全てに満ち満ちている。その外のバイキンと内部のバイキンの間の攻城戦を繰り広げつつ人は微妙なバランスの上にようやく生きている。ここで外部の敵がいなくなるとどうなるのか。外に敵がいなくなったロクデナシ達は力余って内部で略奪と暴虐を始める。クーデターである。
「空の森」クリニックという不妊治療で有名な大きな施設がある。かつてこの地には巨大な資材置き場があって、木が一本もない緲々たるコンクリート面が広がっていた。そこに先の大戦で失われた森を復活し、そこへ深い軒に包まれた「あまはじ」の空間を巡らせた木造建築である。森を復活させた理由は倫理的な理由だけではない。自然の森に共生するバクテリアも含めた全ての命を育むゆりかごを作る試みである。大概の病院は殺菌され尽くした綺麗な中廊下で諸室がつながれている。「空の森」の通路はほとんど外である。ここに思想がある。人間は自然の一部であるという考えである。体外のバクテリアや細菌が存在しない環境では、体内のロクデナシどもや免疫システムがクーデターを起こす。妊婦の場合その標的になるのが異分子である胎児である。
日本では相変わらず砂場を定期的に殺菌することが義務付けられている。その無菌の砂に触る子供はバイキンの塊である。するとその体内から少なからずのバイキンが砂の中に流出する。怖いのはその先で敵が全く存在せず免疫システムという警察もいない場所で、特定の菌が限りなく増殖を繰り返す。その中には近年の抗生物質によって生み出された耐性菌も含まれている。この耐性菌が子供の傷に入ると何が起きるかは想像に難くない。自然界ではこれが起きない。自然界にもそれなりのロクデナシの取り締まり役がいるからである。
ここで殺菌を否定する環境原理主義に陥ろうとは思っていない。自然界には殺し屋である破傷風菌だって存在する。バランスの問題である。泥遊びのあとは普通の石鹸で手を洗い清潔な服に着替える。当たり前のことである。この世に無駄なものは一つとしてない。人間社会における全ての命には大切な使命が含まれている。バイキンも同じである。「この素晴らしきロクデナシども」を切り捨てるとロクデモナイ羽目に陥るのは人間自身である。

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