インド人は働き者である。誰もカレも一生懸命生きている。当たり前のことであるが、日本にいるとついつい忘れてしまう姿があった。日本人が働かなくなったと言っているわけではない。日本では見えにくくなっている働く姿がよく見える。多分高度成長期を支えた昭和の日本人はこうであったのだと思う。働くお兄さんお姉さんお母さんお父さんが道に溢れていて、必死に生きようとしている。明日どうやって生きようかと頑張る瞳を見るたびに、この人たちはいつの日か世界経済のトップに躍り出るぞという気がしてくる。もしかすると100年後かもしれないが、100年なんてインドではたいした時間ではないのである。
自転車や車が盛りだくさんにモノを積んでいる。写真は撮れなかったが、積まれた干し草が車の幅と高さを遥かに超えていて、アフロヘアのお兄さんの頭のようになっている。車種はスズキ。二車線を占領して堂々と走っている。強い風が吹いたら転がりそうである。邪魔である。その横をアフロヘアを掻き分けるようにしてオートリクシャという三輪がすり抜ける。すり抜けたオートリクシャは干し草だらけである。だけど誰も文句を言わない。黙々と生きている。バケツと洗面器とホースを山ほどくっつけた自転車。ハーレダビッドソンのバイクだって敵わない迫力である。自転車は遥か遠くから点で現れて、遥か遠くの点になって消えてゆく。どこにゆくのだろう。一生懸命漕いでいる。日本だとアマゾンのトラックの出番である。どういう需要があってこのお兄さんが自転車を延々と漕いでバケツと洗面器とホースを積んで頑張ることになったのか、皆目見当がつかない。だけど仕事があるから頑張っているということだけはヒシヒシと伝わってくる。