ジャムセイ・ガッツァの基本はsharingである。Sharingには多くの概念が含まれている。如何に分け合うか。如何に助け合うか。私はボランティアという表現が苦手である。博愛精神も私とは無縁である。社会活動に寄った仕事を多く手がける我々を見ている方から時折「いいボランティア活動していますね。」と言われる。ボランティアではない。儲けはなくとも本業である。本業であるからこそ真剣になれる。与えるだけではこちらのエネルギーが枯渇してしまう。今はお金をもらえなくとも、その分喜びの笑顔が返ってくる。彼らが社会に出て成功すると嬉しい。我々が分け与えているわけではない。投下したエネルギー以上の価値を受け取っている。何も失っていない。喜びは劣化することのない価値である。
今世界で最も大きな資産を持っているという為政者が戦争を起こしている。彼は彼なりに自らを滅し国のために奉公している。にも関わらず彼は世界の多くの人々に恨まれている。彼は最も豊かで最も不幸せな人であると思う。楽しく語らい合う家族は食卓にいない。狙撃を避けなければいけないから、自然の空気を自由に吸うこともできない。資産と幸せは一致しない。米国の調査によれば、年収100,000(1300万円)をピークに、自らを幸せであると思う人の割合が減るという。確かに明日の生活を危ぶむ間はそれどころではないと思う。お金があるに越したことはない。しかしお金が必ずしも人を幸せにしないというのは真実である。お金は幸せそのものではないのである。
今ここで会っているゲンラは世界で最も幸せな人間であると思う。彼は個人で何も持っていない。しかし子供達の笑顔に囲まれている。「私に子供時代はなかった。しかし今私は今85人分の子供時代を体験している。私は幸せな人間である。」という。この一節の最も大切なところは「私は幸せな人間である。」という点である。人は一人で幸せになることはできない。だから彼は幸せをかき集めているのだ。彼は子供を助けていることで自ら助けられてもいる。もう一人私は同じような人を知っている。奥田 知志 牧師である。彼の活動は伴走型支援という。与える活動ではない。共に同じ目線で歩むのである。「助けてと言える。」これが自立の基本であると言う。奥田友志が助けてと言った時には一万の人々が全てを捨てて立ち上がるであろう。ゲンラも同様である。「助けて」といえる相手がいる人は幸いである。