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Tsachu 温泉の子供 その1

2023/3/22

ゲンラは今TEDxトークへ出演するために日本を訪れている。TEDの翌日、妙心寺の塔頭、退蔵院の庫裏の大広間で松山大耕師との対談があった。私はゲンラをTEDに招いた世話役としてその側に腰掛けていた。質問役である。そこで興味ある話があった。

ヒマラヤ奥の温泉に子供がいた。といってもそこの住人ではない。野良猫のように、頃合いをみてどこからともなく現れて食べ物を貰いにくる。子供は能面のように一切笑わない。一言も発っさないまま、瞳の奥に重い怒りを溜めている。口はへの字に描き結んだままである。ひとしきり腹を満たすと、どこへともなく消える。これが毎日繰り返される。ゲンラの一行はこの山奥の温泉に2日の予定で湯治に来ていた。ジャムセイ・ガッツァはブータンの国境から僅か45分の距離にある。そこからインド側に僧院で有名なタワンを超え横の谷へとそれた懐に湧いている。Tsachu という。現地語で温泉という意味である。よってグーグルマップで位置の特定ができない。あまりにもありふれた一般名詞であるからである。ヒマラヤの腕であるから天候の変化が激しい。そこを予測しなかった豪雪が襲った。一行は雪の中に閉じ込められた。軍が救援に取り掛かったが、遥か遠くから雪をかき分けつつ、巨大な車輪にチェーンを巻きつけたトラックで這い進んで21日かかった。その21日がドラマを産んだ。その集落は貧しく教育を受けたものがいない。ひたすら昔のままに暮らしている。昔のままということは良い面もあり悪い面もある。良い面は昔ながらの助け合いの絆が幾ばくかの生命を繋ぎ止めている。その一方で親を失った子供たちは生きながらえながらも、何も希望の光がないまま食べ物だけを頼りに日々を重ねている。この話の主人公となる子供はその中でも最も厳しい環境に晒されていた。子供は温泉宿に住んでいない。どこかで寝床は借りているのであろう。そうでなければヒマラヤの豪雪の夜を生き延びている筈がない。ひたすら春を待つ野生動物のように生き延びている。その子供に「どこから来たのか?」と問うても何も答えない。ゲンラが貸すステンレスの食器に入った施しの食物を口に運び、空腹を満たすとどこへともなく消える。そういう儀式が19日間繰り返された。軍の救援があと2日で到達するという時点になって、ゲンラは心配になった。この子はどうなるのであろう。集落の長に事情を問い合わせた。その子供の両親は酒浸りの日々を繰り返し、ある時集落から子供を残して消えたままだという。「この子供を引き取りたい。加えて他に困窮している子供がいたら私が引き取る。教育を与えて立派に育ててみせる。」とゲンラは言った。長の口は重い。「なぜ教育が必要なのか。ここで彼らは生きているではないか。」とゲンラの提案を受け入れない。「生きているだけでは十分でないのではないか。」と説得した。不幸中の幸い、ここでは時間があったら。雪に閉じ込められて21日間他にすることがない。ひたすら教育の大切さについて議論を重ねた。ようやく長の気持ちが揺らいだ。「貴方のコミュニティーとやらを見せてくれ。」長は雪の山を越えジャムセイ・ガッツァの検分に訪れた。そうしてその温泉で出会った男子は、他の父親を失って困窮している二人の女子と共にジャムセイ・ガッツァに引き取られることになった。その地域からの初めての子供達である。

その男子の教育は困難を極めた。表情が存在しない。笑わない。口を引き結んだまま一言も発しない。ひたすら険しい水気を目に湛えている。

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