また新しい本を書いています。
そのメモ書きです。
僕らは建築家になった。と、言ってもいいような気がする。気がするというのは確証がないからである。講演会をしたりNHKプロフェッショナルに出たりすると、一瞬の間だけ成功したような気がするが、その気持ちは長続きしない。建築家は大変な仕事である。テレビドラマで出てくるようなカッコいい建築家の生活とは大違い。「今日も順調。問題だらけ」という社会福祉法人ペテルの家の名言があるが、私達の仕事はまさしくその通り。毎日毎日新しい問題が起きる。その殆どが予測不可能。なぜそんなに大変かというと、必要以上に工夫するからである。建築家という人種は黙って受けた仕事を必要なだけこなせばいいものを、余計な事に気がついて手を出してしまう。仕事がどんどん増えるのに、設計料は増えない。自業自得。これは建築家という職能にくっついてくる持病と言っても良い。それでも、我々が辞めないのは、時々その苦労を忘れさせてくれる喜びがあるからである。時々我々はギャンブル依存症なのではと思う。我々はパチンコも賭け事もしない。しかし実生活そのものが、ギャンブルよりもドラマチックなのである。「扉を設計ミスして車椅子が入りません。」「測量したら敷地が図面より小さくて建物が入りません。」「塗装の材料が不良品でした。我々が選んだので責任取れと言われています。」かと思えば、「礼拝堂と教会の違いは何か。」「壁のない学校の教育哲学はなんだろう?」「ポルトガルの森林再生を考えたい。」という壮大な話をせねばならない。実に落差が激しい。
建築学科に入る学生の多くは、建築家という存在に朧げなイメージを抱いている。入学すると一転して地味な授業が始まる。構造力学は数字と公式。設計基礎の授業は名作住宅のトレース。2年生になると、今度はいきなり創造力を試される。作品を作らねばならない。時々有名な建築家が講評に来るが、とても同じ世界の人間とは思えないほど輝いている。その一方で通学路にある建物は、どれを見ても設計の授業に登場する作品のように面白くはない。工法の授業と教わる内容と、設計の授業で褒められる作品との間のズレは限りなく大きい。料理学校であれば料理実習があるが、建築の場合は作ってみようというという訳にはいかない。建築の場合は現実と教育の乖離が大きすぎるのである。
高校時代の私は特に優秀な生徒であった訳ではない。私は武蔵工業大学附属高等学校から武蔵工業大学に進んだ。入れて頂いたと言って良い。よってロクに受験勉強をしていない。転機は建築学科であった。高校までの間、私の人生は止まっていたのではないか、と思うほど溝があった。強いて言えば、ペンシルバニア大学大学院留学の時に受けたGREとTOEFLが人生唯一の受験勉強と言って良い。大学の教員になった時も、卒業生の先輩方からの推薦で決まり、就職願書も出していない。全て成り行きである。
そんな私が今の状態に至ったのは、たまたま素晴らしい先輩や先生達との出会いに恵まれたからにすぎない。若き日の新居千秋さんに「留学したらどうだ?」と背中を押された。多くの学生は留学を恐れる。それが私にはなかった。理由は目の前にいる新居千秋さんが留学して帰ってきて生き生きとしていたからである。当時の新居千秋さんは学会賞も持っていなかった。大きなプロジェクトもない。しかし日本にいるどの先生よりも熱心な先生であった。その姿に惹かれたのである。私も教えたい。そう。建築家である以前に建築家を育てる教育者になりたかったのだと思う。新居千秋さんとの縁は深い。高校も大学も同じ。そして留学先も同じペンシルバニア大学。そして後々のことであるが、教授として同じ口座をシェアすることになった。正直なところかなり乱暴な先生であった。物理的な意味ではない。指導である。言葉に全く絹を着せない。ダメなものはダメ。実は新居千秋さんが常勤教授であったのは5年に過ぎない。全く嘘をつかない。それが災いしたのか、ずっと29才の若い頃から59才に至るまで非常勤講師であり続けたのである。それが故に信じられないほどの数の学会賞作家が氏の指導の元で育った。優しくはない。しかし優しいだけではひとは育たない。
この本の目的は学生や社会に出たばかりの若手に生じている疑問を少しでも埋めたいと思う気持ちである。私が現在の東京都市大学こと武蔵工業大学の常勤教員になったのは1996年の4月である。ほぼ30年になろうとしている。研究室出身の学生はすでに300人を超え、設計の授業で教えた学生は3000人以上。その間に教員としてずっと抱いていた違和感がある。日本の大学は基本的に研究機関であって、教育は本業でない。それが悪いと言っている訳ではない。そういう研究があるからこそ現代日本の先進国たる地位がある。しかし建築学科に限って言えば、そこに難しさがある。設計に限らず建築は実務である。それを博士号をとった極めて優秀な人達が山のような事務作業に追われながら教えている。そしてその人達の殆どはあまりにも優秀であるが故に、現場で下働きをしたことがない。大学では、研ぎ澄まされた柳葉の包丁で、田んぼの草刈りをするような誤用が起きている。柳葉の包丁とは教授陣のことである。方向はともかく、頭の回転が速い人しかいない特殊な集団である。草刈りをするのであれば、鎌の方が柳葉より遥かに有用である。そういう矛盾の中に日本の建築教育はある。日本という国は生真面目で制度を変えることが苦手である。だから大学の教員達は既存の制度を無理やり拡大解釈しながら現実との乖離を埋めている。そこで学ぶ学生達が困惑するのは当然のことである。


