「ほどほどが良い」という。昨日まで二日間ブルーエという奧志賀の小さな宿に泊まった。奥志賀と言えばグランフェニックスという宿が名高い。養蚕で日本国の産業を助け緑綬褒章を受けた田島与平によるところの名家に遡り、その後田島和彦という巨人が戦後の混乱期を乗り越えてフェニックスというブランドを起こした。それから紆余曲折を得て生まれた名宿がグランフェニックスである。実に隅々まで血の通った宿で、居心地が良い。プールには素敵なサウナが新設された。四階には心地良い展望露天風呂がある。イタリアンレストランは上品で美味しい。毎年のように正月明けになると家族で転がり込むようにして通っている。しかし名宿だけあってなかなか部屋が取りにい。今年は一晩しか取れなかった。部屋を取り損ねた日の昼間はグランフェニックスのラウンジに居候して、近所に夜の寝床を探すことにした。そうして見つけたのがブルーエという小宿である。
そこで出る食事がほどほどで心地良い。和牛のステーキが出てくる。しかし凝り過ぎていない。実に適切な焼き具合で、丁度良い量が出てくる。小難しい飾りは載っていない。私達は食というものが好きで、分不相応に名店を探し回る。だから我々は質素が第一という禁欲的な節度も帯びていない。ジャパニーズフレンチと言われる凝りに凝った作品を堪能することもある。しかしブルーエはちょっと違う。「これなら毎日食べられるかな。」という気がするのである。凝りに凝ったフレンチは素晴らしいが、金額はともかく毎日食べるものではない。ブルーエにいわゆるシェフという達人はいない。こだわりの旦那が考え抜いた手料理である。しかし田舎料理ではない。旦那はそもそも建築家である。だから料理もほどほど洒落ている。宿もほどほど洒落ていて、旦那による改装設計である。グランフェニックスのようにキッチリ背広を着込んだ見るからにプロのフロントマンはいない。ブルーエの運営はボーダーシャツのご夫婦である。朝になったら旦那さんが雪に埋もれた車を掘り出してくれていた。全てがほどほどであるが気持ちがいい。ほどほどに気持ちが良いので、昨年に引き続き今年も泊まることにした。
処女作の副島病院を設計した3年後に鎌倉山の家という作品を作った。1999年。今思うとほどほどの家である。四角い立方体の家で、森に向かってデッキが突き出している。デッキの上にはオーニングを付けた。快適性を正面に押し出した。その当時はまだポストモダンやでデ・コンストラクティヴィズムの余波が残っていた。当時の雑誌を振り返ってみると、ふつうの家は専門雑誌に見向きもされなかった。ほどほどは相手にされなかったのである。今でも頭に残っているのは「これはコテージですね。」というある編集者の言葉である。編集者は別に貶した訳ではないだろうが、実に辛かった。要は快適である事は作家の評価とは関係ないと言われたような気がしたのである。結局その雑誌には載せてもらえなかった。住宅は毎日住むものである。だからほどほどでも良いのではないかと思うが、それでは作家として受け入れられないという空気が当時はあった。ほどほどの建築を作る設計者は巷に溢れているから、今更取り上げる意味はないということである。
しかしその鎌倉山の家という作品が我々の生活を変えた。一般誌に続々と掲載され、想像もできないほどの量の仕事が舞い込んで来た。一時期は電話を置くとすぐ次が掛かってくるという状態で仕事が受けきれず、一年待ちの状態となった。「巷の人達はちゃんと判ってくれている。」という確信を得た。メディアが派手な演出をする作家を持て囃す一方で、世の中ではシンプルでほどほどなデザインが求められていたのである。ここで派手な作風を批判するつもりはない。私自身も時折派手を演出もする。しかしその当時、普通の世の中と作家の世界との間に大きな乖離があった事は事実である。
2000年を超えたあたりから特に2011年の東日本大震災の後は、多くの建築家が自らの作家性を否定する程までに反省の態度を示すようになった。倫理の時代である。それが今また派手な作品が持て囃される時代が来ている。これは時代の波であって批判すべき内容ではない。作家性を放棄したら作家は作家でなくなってしまう。ありふれている事は美徳ではない。私達も特別な場所のためには特別の作品を作る。しかし日常には、ほどほどが大切である。ほどほどに気持ちが良いこと。ありそうでなかった当たり前のこと。それを昨日のブルーエは思い出させてくれた。


