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屋根の家物語その1

2026/1/20

1999年。電話が鳴った。「すぐ行きます。」屋根の家の始まりである。まだ我々は仕事が少なかった。選り好みしている場合ではない。場所は秦野。ポンコツの黄色いシトロエン2cvを走らせた。ご夫妻はごく普通の建売住宅に住まわれていた。家を買ってはみたものの、すでに傷んでいて住み替える必要があるという。普通はそこで事細かに話を伺うのであるが、話半ばで「それはともかく、つくね汁はどうですか?」という展開になった。もしかすると食いつめている若手貧乏建築家に見えたのかもしれない。賄いのようにお椀にどんどん注いでもらう。うまい。が。実際のところ、それほど貧乏ではない。しかし大学の給料を事務所に入れて、少ないお金を所員に分けていたのは事実。夢を食って生きていた事務所であった。美味かった。腹がくちくなると、「いやー。君たちはいいよ。宿題出さないからね。」「私宿題大嫌いなの。」「前話聞いた建築家は、ずらっと質問項目のリストくれて、描き込みなさいって。」「やんなっちゃった。」「君たちは宿題出さないところがいい。」確かに宿題を我々は出さない。しかし、そんなことを先に言われると、聞くことも聞けない。「とりあえず、お友達になっておこう。」という流れになった。そうこう話すうちに、写真が出てきた。屋根の上に幸せ一杯の笑顔を輝かせた子供が二人のっている。瓦屋根。その前からか後からか、細いギシギシ鳴る階段を上がって屋根の上に案内された。一番上の屋根ではなく、途中にある差掛け屋根。そこに2階の窓から乗り出して上がる。実に危ない。恐る恐る窓台を乗り越えたが、滑る。「このお二人は何を考えているのだろう?」と思いつつも感銘を受けた。そう。これから26年後の今に至るまで、奥さんから繰り出す言葉。「私達みたいに普通の家庭。」もちろん普通ではないのだが、ご本人達は全く気が付いていない。意図的か意図的ではないのか、ごく自然に面白い話がガチャガチャのように透明なカプセルに入ってコロコロ出てくる。その究極が屋根の上への案内であった。我々はお腹いっぱいで幸せな帰途、やることは決まっていた。「屋根に人を乗せなきゃいけない。」あとのことはさっぱり秦野中井の高速入口に着くまでに忘れてしまった。

今でも案が生まれた瞬間は覚えている。当時我々はメガホンハウスを設計したばかり。景色の良い方向にいかに開くかを考えていた。敷地は「日本昔ばなし」に登場するかのような、のどかな谷を見下ろしていた。それと屋根に人がのるという状況がどうも一つのストーリーとしてつながらない。模型を作っていると手塚由比が「反対にしたらいいんじゃない。」という。ギシギシとカッターナイフで折角作った模型を切り裂いて反対に向けた。彼女はいつも乱暴である。私がどんなに頑張って丁寧に作った模型であろうと気にしない。大根でも切るように包丁を入れる。その瞬間閃いた。これだ。手が勝手に動いて屋根にボコボコ穴を開け始めた。「出来た!」屋根が谷に向かって傾き、その上に斜面の勾配と同じ屋根にがある。その上に人がのっている。「そうだ壁を立てよう。」「屋根には天窓から出るんだ。」実に楽しい。そうこうするうちに照明デザイナーの角館氏が訪れた。もしくはもう既に居たのかもしれない。時系列は忘れてしまったが、状況はよく覚えている。彼は道路際の小さな組立テーブルの前に座っていた。恐る恐る見せると。「すごいねー。これすごい。」角館氏は日本最初の屋根の家の理解者となった。

当時の我々は実にボロい文房具屋さんのあとに入っていた。確か「赤べこ」という名前だったように思う。道路に向かってテントが付いていて、「青やきコピーサービス」と書いてある。そういえば馬鹿げたことがあった。当時既に有名であった「みかんぐみ」という設計事務所が二子玉川にあった。車で15分ほどの距離である。その所員が突然来て「青やきお願いしまーす。」今の人は知らないかもしれないが、当時青やきというコピーの手法があった。いわゆる青写真である。大きなツンとした酸っぱい臭いのする紙が黒い大きなビニール袋に入っている。それを取り出して、トレーシングペーパーに重ねて、機械に入れてスイッチを入れる。すると大きなローラが紙を巻き込む。奥では青いチェレンコフライトのような有害紫外線が出て、裏から図面が焼き付けられた紙がホカホカになって出てくる。そういう機械を我が社は持っていた。手塚由比が実家の父親からかっぱらってきた秘密兵器である。これを「みかんぐみ」の社員が頼みにきた。我々は「みかんぐみ」の社長達を知っている。その若い社員は我が社をコピーサービスの店と勘違いしたのだ。確かにデカデカと「青焼きコピーサービス」と軒に書いてあるのだから、当然の起きるべくして起きた事件である。何食わぬ顔をしてオーダーを受け付けて青やきコピーをした。もちろんその後に「みかんぐみ」へ電話をして笑いをとったことは言うまでもない。

事務所の床にはマンホールがあった。多分通路であったところに強引に建てたのだろう。床は道路であった。だから雨が降ると、事務所の中に水が入ってくる。パソコンが水に浸からないようにブロックで嵩上げをしていた。そこの床に今はすわ製作所を率いる眞田氏が犬を事務所で飼っていた。ある日眞田氏が仕事をしていると、プツッとパソコンが切れた。「アレッ」彼がテーブルの下をみると彼の犬が電線を噛んでいる。「コラー。何すんだ!」犬は何がいけないのだかわからないまま、茫然と彼を恐れている。犬はシベリアンハスキー。北極グマさえ立ち向かう犬である。それが恐怖の表情を浮かべている。すると、なんと彼は犬の首に噛みつきはじめた。犬は食われると思い悲痛な叫び声をあげている。「犬ってのはこうやって躾けるんです、」と食いついた眞田氏は白い犬の毛を口周りにつけたまま説明する。そう言われても、もはや彼は恐怖の雪男「イエティ」にしか見えない。犬はその後家出して帰って来なかった。その眞田氏が屋根の家の担当になった。そういう時代に屋根の家は生まれた。

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