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精霊が住む家

2026/1/20

もう竣工から26年になる。屋根の家に行った。「建物は人生を変える。」奥さんの言葉である。今時奥さんという言葉は今時時代遅れである。奥に収まっているような方ではない。前に出てグイグイと人を引っ張り回す英傑である。しかしここでいきなり個人名を出すわけにはいかないので、奥さんと言わざるを得ない。26年は長い。軒に届くかどうかの大きさの可愛らしかった八朔の木が家を隠すほどに育っている。枝いっぱいに橙色の実が艶やかに実り匂っている。「この柚の木もそろそろ寿命」だという。豊かに実っているのであるから、素人目には到底老いているようには見えない。「樹勢がない。」という。ネットで検索すると100年以上永らえることになっている。ふと気がつくと、私はもうすぐ62歳になる。奥さんは72歳。私より10歳ほど上である。もしかすると、木ではなく、自らの命を木に写して寿命と言ったのかもしれない。もちろんお互い当分の間あの世に行く気はない。私も100歳は悠々と超えたいと画策している。しかし節目が来ている。屋根の家の上で、カラフルなスーパーボールのように転げ回っていた姉妹が巣立って久しい。その子供達をみて「ウチも欲しい」と思ったら生まれた我が家の子供達も20と23。

空の巣症候群という言葉がある。子育てに一生懸命取り組んだ子供達が巣立ち、その空の巣で呆然と座り続ける親鳥のことである。人は鳥ではないから、毎年子供を産み続ける夫婦は稀である。空の巣に座り続ける愚かな親鳥などいない。親鳥とは人類の親を映した類推である。人間の番い(つがい)は、大概の場合、住宅ローンというしがらみを抱える。だから鳥のように、とっとと古巣を捨てるわけにはいかないのである。子供が居よう居なかろうと、せっせと修理しながら古巣に座り続ける。人は座り続ける不思議な動物である。何故か。住宅には魂が住む。住宅は箱ではないのである。長く住めば住むほどその魂のオーラは琥珀色を纏い、語り部に育ち物語を教え伝承を編み始める。屋根の家はそういう場所である。

地霊という言葉がある。ラテン語ではGenius Lociという。Geniusとは精霊や魂を指す。Lociというのは「場」を示す。場というのは番地ではない。座標でもない。そこを占める存在。これを日本語では風土という。「景観十年。風景百年。風土千年。」風土を醸成するには千年を要するという。屋根の家は四半世紀を超えた。風土とは言わぬまでも、四半世紀を超えると家はもはや物ではない。海岸に打ち寄せる波のように、出来事が爪痕を残し砂を運び、時の岸辺が刻まれている。風土とは言わぬまでも、精霊のように思い出が浮かび消えてゆく。今節目を迎え、屋根の家で新しい出来事の胎動が起きている。それにあたり今までの四半世紀を年代記として、認める(したためる)ことを始めた。

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