Message

Back

木造に関しての備忘録

2025/12/8

南三陸 箱根彫刻の森 新島学園短大 光恩寺 富岡こども園 富岡商工会議所

木と想い出

南三陸では津波を被り塩枯れした参道の並木を使い、大雄寺という古刹が運営する幼稚園を再建した。あさひ幼稚園という。この建物の要点は再建された木構造は、単なる地震に対抗する機能ではなく、未来を生きる子供達への時空を超えたメッセージであるということである。大津波を伴う海溝型に発する大地震には周期がある。マグニチュード8.5を超えるような規模は、今回の東日本大震災の2011年。慶長三陸地震の1611年。貞観地震の869年。ほぼ400年周期で繰り返している。古刹はその記録として機能している。古刹は高みにある。低地に建てられた建築物は、津波の度に流されてしまうからである。今回の東日本大震災でも大雄寺は多くの町民を高台へと誘導し、多くの命を救った。大雄寺には巨木が並ぶ参道があった。その巨木群が枯れた。津波圧に巨木は耐えたが、塩漬けになった地面は梢から水を吸い出してしまった。その巨木を切削して幼稚園を再建した。二人の子供が大きな柱にー向かって座る一枚の写真がある。木が子供達に語りかけている。「私は1611年の大津波の後に植えられた。今回の大津波2011年で私は枯れた。次の津波は400年後の2411ごろに来る。だから大きな地震が来たら私のところに来なさい。生き残るために。」

400年後に話しかけるためには、建物が400年生き延びねばならない。簡単なことではない。現代建築は100年を超えて生き残るように設計されていないからである。ましてや400年というと気が遠くなる程に長い。よって現代建築の技法は全く当てにならない。よって1000年の時を超えた古の嵌合結合の技法に学んだ。幾つか特記すべく技法がある。一つは芯抜きという手法。このあさひ幼稚園の柱は二尺角におよぶ。600×600角である。尺角という大きさは時折見かけるが、二尺角というのは飛鳥時代以来の古建築以外に事例がない。大きな芯材をそのまま使うと、乾く時に割れてしまう。外側が乾くに従って縮むのに対して、内側はなかなか乾かず動きについて行けない。結果としてバラバラに割れてしまう。その為背割という切れ目を入れる手法が存在するが、二尺角という大きさに至ると通用しない。そのために柱の芯を抜き内外から乾燥させる。二つ目の技法は柱を植える方向である。日本では南の方が陽が当たる。よって年輪は同心円にならない。南の方が育ちが良く分厚くなる。育ちが良い分年輪の密度が低い。その結果として乾く時に南の方に傾ぐ。それを先読みして柱を植え、梁の上下を決めるのだという。心得豊かな大工は、柱を木が生えていた方位を守って植えたという。

扇垂木

扇垂木という手法がある。飛鳥時代は当たり前に使われていた技法であるが、時代を経るに従ってあまり使われなくなった軒先角部に使われる技法である。これに我々は固執している。木造に凝っている建築家なら誰でも知っていることであるが、軒先角の構造は難しい。角の柱からXY方向に持ち出した先からさらに持ち出すので、他と同じ梁では強度が不足してしまう。加えて垂木の処理が難しい。現代建築では垂木というものは殆ど見えない。だから誤魔化せてしまう。そもそも垂木というものが存在しない場合もある。しかし木造を魅せるとなると話が違ってくる。垂木こそ魅せ場であるからである。扇垂木というのは、読んで字の通り、角部の垂木を直角ではなく扇状に回しかけることによって、構造状の不合理を回避する手法である。

光恩寺で八角堂を試した。扇垂木である。八角堂とした理由は、前後左右に寺所のつながりがある結節点にあって、全方面に渡り裏を作ることが許されなかったからである。内部には寝釈迦の周りを八本の柱が囲い、右遥三匝の為の回廊が巡っている。富岡こどもえんは、富岡発祥の地である龍光寺伽藍の一辺を成す。ここでも扇垂木を採用した。伽藍であるからやはり裳階のような低く巡る空間が欲しい。扇垂木はの上には耐紫外線仕様の半透明の屋根を掛けた。扇垂木が放射状に影を落とし、光の回廊を作る。行き止まりのない無限のつながりができた。

自由にしかし合理的に

箱根彫刻の森のWoods of Netは木を積んだ構造である。伝統の嵌合結合から学んだが、伝統工法の幾何学ではない。時折最近流行りの木を無秩序に積んだ表現主義と混同されることがあるが、時期として木構造流行より前であり、何より純粋な力学である。この構造については適切な言葉が見当たらない。同様の事例が過去にも現代にも存在しないからである。上から見るとトラスの連続に見える。トラスの幾何学は四段で完結する。その四段を少しずつ内側へと持ち送り、最後は大梁で繋いで完結する。嵌合結合は楔で締め固める。結果として有機的な形態が出来上がった。過去から学びはしたが、極めて有機的な造形が出来上がった。シロアリの巣のようにも見える。ビーバーの家のようにも見える。製材という工業製品を用いながらも自然な形態に見えるのは、力学が導き出した幾何学であるからであると思う。自然体の構造物と見せかけの構造物の違いは、完成品を見れば素人でもわかる。

過去と未来

富岡商工会議所会館では、過去と未来の両方を表現することを求められた。富岡は富岡製糸場という世界遺産を有する。しかしそれは過去への憧憬ではない。当時の富岡製糸場は世界最先端の技術であったのだ。現代の富岡には宇宙ロケットを作るIHIと先端医療機械を作る日本光電がある。よって富岡製糸場の木造のイメージを残しつつも、最先端のモノコック構造の形式を作り上げた。折り紙構造と名付けた。この言葉はいつの間にやら、折れた面であれば何にでも使われているが、富岡商工会議所会館の形態に嘘はない。屋根型の構造は東日本大震災時まで存在した呉服店を映した形態であるが、それを奥へと繰り返すことで立体的な強度を見出している。全ての形態には意味があり、無駄な部材はない。

柔らかい木造。

新島学園短大講堂兼礼拝堂の木造は柔らかい。梯子状の構造を二重に回して、回廊が空間取り囲んでいる。敢えて剛性が高いトラスを使わずに、方杖を分散して全体で柔らかく力を受け流す構造とした。礼拝堂のテーマはエデンの園である。聖書を頼りに半年かけて描き出した森を透かし彫りにして、木漏れ日の空間を作り上げた。エデンの園が森であったのか広場であったのかは確かめる術もないが、豊かさの表彰として森を選んだ。木々は揺れて風の力を受け流す。よってこの礼拝堂の構造も柔らかくあって欲しいと考えた。

Facebookでシェア
Twitterでシェア