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神は今でもディテールに宿っているのか?

2026/1/13

「詳細図がなんだかわからない学生達への覚書」

iPhoneをデザイナーは好む。最近のモデルは少々食傷気味であるが、少なくともジョブズ存命の間のiPhoneは格好が良かった。格好が良い理由はその肌理と詳細がある。ガラスの端とステンレスエッジの取り合い。微妙な角のアール。なんでできているかわからない裏面の鏡面仕上げ。美しい。

建築の世界でその領域を司るのが詳細図である。大学の設計の授業ではそれを教えられない。なぜなら、設計の授業の一つの課題の時間が短すぎるからである。だから必要以上に建物を複雑にして自己表現しないと評価が上がりにくい。間違っているとわかっているが、教員としても他に評価基準がない。

詳細図とは設計が十分に進んでから取り掛かる段階である。しかし後の段階とはいえ、詳細図無しに良い建築は出来上がらない。近年では基本設計だけを作って、実施設計をしない新しい世代の建築家が成功を収めつつある。特に欧米ではその傾向が著しい。理由は実施設計を請け負って詳細図を描くと、大きな責任が発生するリスクを背負い込むからである。ネット社会の昨今では、画像に現れる世界で建築家の評価は決まる。AIが進むに従ってこの傾向はさらに強まるであろう。実施設計をしないプロジェクトの手離れは早い。その余ったエネルギーは次のプロジェクトに回せる。ネットを検索すれば建築のアイデアが溢れている。買い物でもするように、アイデアを買い物かごに入れてそれを組み合わせれば、それとなくクリエイティブな雰囲気は出来上がる。

しかし、そういう手法に私はどうしても移行できない。ビジネス上はそういう方向が正しい選択なのかもしれない。世界へと自分の可能性を広めるには正しい方向かもしれない。素晴らしい実施設計の協力者に出会えば、それなりに綺麗な詳細も出来上がる。しかし私のルールでは他者が描いた詳細の建築は私の作品にならない。例えば渋谷フクラスはデザインアーキテクトとして関わりアーバンデザインにも注力し、結果として街区の賑わいは守られた。しかし詳細図を自分で全て描けなかったプロジェクトである。正確にいえば詳細図のために描いたスケッチはあるが、そのままできた訳ではない。結果として私の中では他の建築作品と別のフォルダに入れざるを得ない。

私が修行をしたリチャード・ロジャース卿は、詳細図のリスクを背負いつつ作品を作る建築家であった。大規模建築を手がける設計事務所としては経営効率が実によろしくなかった。少なくとも私が在籍している当時は、事務所の所員たちが頑張って描いた設計図のせいで多くの問題が噴出していた。それを一つ一つ頭を抱えながら火消しに取り組むプロジェクトリーダー達がいた。そういう体制でロイズ・オブ・ロンドンという名作が生まれた。

誰もが知る「神は詳細に宿る」というミース・ファンデル・ローエの名言がある。ミースの建築に神が宿っていたかどうかは定かでないが、実際に私が見に行って感動した建物には全て美しい詳細がある。ルイスカーンの珠玉作品群はもちろんのこと、レンゾ・ピアノやリチャード・マイヤーの手摺りを見ると、一時間かけて描き写してしまう。

近年手掛けた黒茶屋別邸「風姿」では徹底して詳細図を描いた。「何もない家」でも2年間分の詳細図が溜まっている。しかしその違いは現地に来なければわからない。ネットの写真では、「風姿」は単なる切妻屋根にしか見えないし、「何もない家」はただの箱にしか見えない。経験を積んだマニアックな建築家にしかその違いは見抜けない。iPhoneの品質はApple Storeに行けば体験できる。しかし建築は店先に置かれていない。

しかしiPhoneは毎年のようにモデルチェンジがある。建築は少なくとも30年、時には100年を超えて存在し続ける。先日31年前に描いた「副島病院」の詳細図が出てきた。30歳そこそこの割にはよくできている。師匠のトレーニングのおかげである。そう。詳細を頑張ってもすぐわかってもらえるとは限らない。しかし時代は正直である。いつの日かわかってもらえる日が来る。そう思いながら、詳細図と奮闘する毎日である。

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