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聴竹居

2026/5/13

木津川、宇治川、桂川が落ち合う地形を睥睨する天王山の裾に掛けられた名作である。木津川は南都。桂川は西山。宇治川は平安。その三本が束なり淀川へと成る豊穣の落合を藤井厚ニが狙ったのは偶然ではない筈である。背後の天王山が都を制する枢要となり得たのも、この稀有な地霊が引き起こした悪戯に過ぎない。その枢に錐を打ち込むようにして庵を据えた藤井厚ニの得意顔は想像に硬くない。その豊かなる滋養を吸い上げて聴竹居は生えた。彼の地に自生した華と言って良い。一輪の華と言いたいところではあるが、実は数軒の住宅や庵を散りばめて一大住宅地を作るかのような野望を描いていたという。現在は残念ながらその大半は失われ、藤井厚ニ自身の家族や書斎それから庵のみが居残り、かつての広大な偉業を類推する残像を投映するばかりとなっている。今現在は、かつて竹中工務店ギャラリーA4の館長を長らく務められていた松隈章氏が、身を挺して歴史の波から、この脆弱な木造建築を守っている。今は竹中工務店が文化事業として所有しているが、無数の名現代建築が造作もなく破壊される日本において、奇跡であると言って良い。 

今回の訪問は邂逅であった。きっかけは「ギャラリーのざわinn」という他愛無い宿を採ったところにある。他愛無いというのは、柊屋のように瀟洒な趣が漂う訳ではなく、狭小な路に差し掛け屋根を突き出した風情の町屋である。間口は三間程に過ぎない。古びた小細工も施されていない屈託ない格子窓の脇に、可愛い引き戸がある。その少々歪んだ引き戸を開くと通り庭がある。土間である。その隣地側の真壁にしがみつくようにして、土色の本棚が作り付けられている。そこに聴竹居に関する書籍三部が差し込まれていた。聴竹居は、その那辺に据えられた利休待庵とは違い、余程のことがなければ素人が手を出すような文化物ではない。不思議の成すままに手にとっていると、宿屋の女将が話かけてきた。二部屋しかないので、おかみさんと呼びべきか。「その本は私が編集しました。」という。確かに手塚建築研究所に時折訪れる編集者の風貌に思える。只者ではない。その本は松隈章氏の著作である。私達は松隈章氏を知っている。その双子の兄でいらっしゃる松隈洋教授も知っている。そこで一興として久しぶりに電話をしてみることにした。しかし電話番号が見つからないので、おかみさんに番号を聞いた。ちなみに、余談であるが洋教授の方は携帯番号を持たないという。すると。「今日なら居ますが。。。」といういつもの張りのある声が返ってきた。まさか行けるとは思っていなかった。こういうものは縁である。図々しい手塚貴晴と手塚由比は二つ返事。「行きます。」と答えた。 

聴竹居に関しては無数の研究がなされているので、詳しくは説明しない。建築家が全体像を述べることは無粋である。私は研究者ではない。よって、建築家という生業から眺めた興味を認めるに留める。異常な執拗さに満ちている。その執拗さは現代の建築家が抱く拘りと方向が驚くほど方位が合っている。気味が悪い。100年前である。角に柱がなく、ガラス同士で収まっている。勿論構造シールなどという便利な魔法はないので、細い木枠が歪んだガラスをかろうじてめし合わせている。しかもその木枠は角に向けて削られていていよいよ鋭い。特殊な鉋で削るのだという。角を落とすだけではなく、その削られた面と元の面の間が微かに落ちている。これを几帳面と呼ぶのだそうである。松隈章氏の受け売りであるが、俗に言う「几帳面」という人格表現はこれに由来するのだという。妙に不連続な障子の桟が、開くと重なって格子になってみたり、竹の断面丸ごとを扉に鋳込むようにして埋めてみたり、目眩く手品が延々と続く。先程述べたように、部外者である私が語るのは無粋であるから、この先は松隈章氏の手による解説本をご参照頂きたい。気がついたら、2時間半も説明を聞いていた。日本建築学会賞受賞記念の講演会より長い。しかし飽きない。ひとしきりの夕立のような説明を終えると、激しい空腹を覚え、駅前の定食屋に駆け込んだ。時を置き忘れるほどに、濃厚な説明であった。 

要点に移る。藤井厚ニは国際的な建築家になることがなかった。コルビュジエと一つ違いであると言う。その藤井厚ニはコルビュジエのインターナショナルスタイルに対して激しく反発していたと言う。さもありなん。同じ目線である。「気候と関係なくどこにでも通用する建築などある訳がない。」「むしろ有害である。」という論考である。今でもその主張は正しい。高気密高断熱を追求し、表面積を減らすことを強要する最近の傾向は明らかに間違っている。それを100年前の藤井厚ニは明確に射止めている。 

しかしなぜ藤井厚ニはコルビュジエと並び立つことはなかったのか。それは彼の為した無理にある。近年ではハウスメーカーが研修に訪れるという。しかし、いっこうにハウスメーカーの作品は藤井厚ニに近づいて行かない。藤井厚ニの理論は合理的である。重力換気の仕組みも実に巧みである。景色を切り取る窓の手法も隙がない。しかし、世の中はそこまでを求めていない。資本主義と民主主義は愚鈍を愛する。コルビュジエの手法のように、藤井厚ニの収まりは商売の役に立たないのである。そういえば似たような建築がパリにあることを思い出した。ピエールシャローによるガラスの家である。恐ろしいまでに考え抜かれた仕掛けが、時計仕掛けのように回転する。美しい。しかしピエールシャローは殆ど仕事を貰えなかった。あまりにもマニアック過ぎて、俗人の理解する世界ではなかったからである。藤井厚ニには豊かな資金があった。その点はフィリップジョンソンと同じである。施主がいなければ、自分のポケットマネーで如何様にでも工夫を重ねられた。ファンズワース邸の設計でクビになったミースファンデルローエとは大違いである。ここで世の中の不平等を嘆くつもりはない。多少の浪費なしに芸術は生まれない。彼の作品は様々な現代が抱える問題に対する答えを含んでいる。しかし芸術なのである。示唆であり嚆矢である。もう一人そういう建築家を思い出した。広瀬鎌二である。木の嵌合結合の合理性を追求した末に生み出された詳細は、余りにも複雑でやせ細り、美しくさえあれ彼の自宅以外に日の目を見ることはなかった。藤井厚ニの作品は孤高な頂きに似ている。孤高な頂きは遠くに見て崇める憑代である。 

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