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音の覚書2 新島学園短期大学

2025/12/11

12月2日。新島学園短期大学にて奥田牧師によるチャペルアワーがあった。テーマは『人、「助けて」と言える存在〜孤立社会と希望のまち〜』。日本では500人以上の子供たちが毎年自殺している。その半数が原因不明だという。その意味するところが、半数の子供達は「助けて」と訴える相手がいなかった。人は助け合いを基本とする動物である。人間は他者の助けがなければ子供が産めない唯一の動物である。残念ながら日本における救済は、自己申告を基本としている。「助けて」と言えない子供達。相談できる家族がいない子供達。

礼拝堂に学生達の聖歌が響いた。胸が熱くなる。ふと周りを見回すと、沢山の人々が涙を浮かべている。宗教でいうところの降臨の瞬間というというのはこういうことを言うのであろうか。私はキリスト教徒ではない。当然洗礼を受けていない。教会ばかりでなく寺院の設計もする。しかし世界の教会を無数に巡っている。建築家であるから、どうしても空間に目が行く。空間のスケッチをする。しかし音はスケッチで伝わらない。教会には不思議な音場がある。それは聖歌であったり説教であったりする。何も行われていない静寂でも、独特の響きがある。奥田牧師の説教は素晴らしかった。しかし人々の感涙が溢れたのは聖歌隊の声が響いた時であった。

新島学園短期大学の礼拝堂はエデンの園を描いた透かし彫りに包まれている。その透かし彫りは少しずつ傾けられている。並行面の間で同じ音が反射し続ける、フラッターエコーという現象を避けるためではない。傾きが微妙に違う一枚一枚の板が、音を混ぜ深みを描く。音は透かし彫りの穴を潜り抜け、板を裏から震わせる。透かし彫りの穴は聖壇側に多い。聖壇と対面する側には穴がない。反射する為である。礼拝堂はアダムとイブがエデンの園を去る瞬間を表している。聖壇はその森の切れ目を後ろに背負う。礼拝堂の音はその森の切れ目に向かって消え行き、会堂に集う人々を新世界へと誘う。

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