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風情の環境工学

2026/1/13

「環境工学を学ぶ学生たちへの覚書」

建築は生き物と言って良い。一つは人類と共生しているという意味において。もう一つは大気や水分を摂取して生きているということにおいて。宇宙船や火星基地という特殊な存在にも興味があるが、それが実現するのはずっと先の話。基本は周辺に依存して生息している。その生態を理解するのが環境工学である。水気の多いところに住むトカゲはヌルヌルした粘液質を帯びているように。乾いた砂漠に住むトカゲが厚い鎧を纏って水分を大切にするように。建築はその場その場に合わせて形態を変える。かつて建築は簡単であった。ちょっと火を炊いたり風通しを考えればそれで何とか寒い日も暑い日も凌ぐことができた。それが人間が贅沢に慣れるに従って我慢強くなくなってきた。どんな貧しい家でも水道はあるし、大概の家には風呂がある。それどころか大概の家にはエアコンという装置が付いていて、暑い夏も涼しく過ごせる。「だから環境工学があるのだ。」と結論づけるのでは少々寂しい。環境工学というのは生物学のように興味深い学問なのである。

パッシブソーラー、アクティブソーラーという言葉がある。わかりやすく説明すればパッシブソーラーというのは昔ながらの家に使われていた工夫。軒を深くして夏の日差しを遮り、風通をよくして熱を逃すという手法。アクティブソーラーというのは太陽光パネル、風力、地熱などを使って、技術的に問題を解決しましょうという工夫。実際にはこれをうまく組み合わせて使う。どちらが正しいとも間違っているという訳でもない。今ではそれぞれの手法に計算方式があって予測通りの性能が確保できるようになっている。今や環境工学は建築を作るにあたって避けては通れない学問となった。空調容量の計算や断熱性能の計算は必須である。

しかし、この性能という言葉に危険性がある。建築の中に入っている人間は生きているからである。冷蔵庫の中に入っているりんごと違って、中にじっとしていてくれない。勝手に出たり入ったりする問題児なのである。「それは定量化できているのか?」という問いに建築設計者は常に追いかけられている。学会における発表も同じである。定量化というのは数字として証明する行為のことを言う。高機密高断熱にすれば確かに性能は上がる。問題は高性能が必ずしも環境負荷が小さかったり快適であったりする訳ではないという点である。人は環境の変化を求める動物である。適正な温度と湿度であれば満足する訳ではない。わざわざ暑い夏にもっと熱い砂浜に寝そべり、寒い冬に冷たいゲレンデに赴いてスキーを滑らせる。

環境建築は目立つ。大きな風抜きのタワーを作ったり、ルーバーを全集回したりすると、それらしい環境に優しく見える建築が出来上がる。グラビティタワーというちょっと格好の良いイディオムもある。実際私もコンペになると使う。それだけで設計が最もらしくなる。屋上緑化をするとグリーンビルディングに見える。しかし本当のところは、土量が少ない大半の緑化は常に散水を要する。高層ビルの場合は水をポンプアップするだけで大変なエネルギーを要する。ルーバーで建築を包むという手法もある。帆を振り立てて風を引き込む手法もある。その飾り立てた風情はまるでエリマキトカゲや孔雀である。時にはエリマキトカゲや孔雀も楽しいが、そこらじゅうを彼らが走り回っている様は自然でない。しかし私自身もついついやってしまう。

環境のことを考えるのであれば、深い軒と断熱性能で十分なはずなのである。本当の環境建築は目立つ存在ではない。特に日本の場合は風土に溶け込む風情と表裏一体になりわかりにくい。昔ながらの茅葺屋根に戻れとは言えない。日本の民家は夏に涼しいかもしれないが冬は寒い。現代文明に適応した技術も必要である。大切なのは風情なのではないかと思う。風情とは風と情が合わさった熟語である。風とは自然の力である。人は自然の力に抗さずに生きられない。だから建築がある。そこに環境工学がある。しかし情も必要である。情と書いて「なさけ」と読む。「なさけ」は人(他人)の為ならず。「なさけ」とは互いに分かち合う歩みである。これからの環境工学はそうあって欲しい。

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