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六日目 終わらないおかわり

2022/12/3

ちょっと刻んで炒めた唐辛子が所々に入っている。慣れてくるとそれほど辛くはない。基本はざく切りの野菜と豆の炒め物である。それが丸いお盆に入って出てくる。インゲン豆と空豆はわかるが、あとは全くなんだか見当がつかない。食通としては自信喪失である。それに古代米とパラタと呼ばれる平べったいパンケーキが出てくる。ちなみに一度もナンにはお目にかからなかった。一説によると、ナンは元々一地方の食材で、それを日本在住のインド人が日本人好みに仕立てたものがナンだそうである。だからナンを焼くタンドリー窯はほとんど日本製なのだそうである。インドの八千年の文化に日本がちょっと貢献していることに気がついてちょっと嬉しくなった。ただし。ここヒマラヤ奥地モンパにナンの日本文化は届かない。あとプーリというパリパリの揚げパンがある。2枚合わせの薄い皮膜が皿型UFOの形で膨らんでいる。食感はポテチで味は塩せんべい。クセになる味である。ビールが欲しい。

食堂の横に厨房がある。そこに沢山の人が働いている。日本の学校の厨房と違って、一部屋なのでわかりやすい。奥では鍋を洗っている。ただし日本と違うのは洗う人ごと流しに入っていること。「足洗い場と皿洗いを一緒にしないでください!」という勧告が日本だと保健所から入ることは間違いない。しかしここにくると、「なんでこれでいけないんだろう」と思う。

我々は貴重なゲストである。厨房の中の12人のお姉さんたち24の瞳が、カウンターの奥から我々の一挙一足動を凝視している。テレビの収録スタジオで試食しているシーンである。皿の品目の一つが減ってくると、争うようにボールに入ったカレーやお盆大盛りのパラタを捧げて駆け寄ってくる。文字通り駆け寄ってくる。全身全霊を傾けた接待である。満面の笑顔を傾けて勧めてくる。先日の酒の接待と同じで、かけつけ三杯。テーブルを一周してまた戻ってくる。最初はサンキューと答えておしいただいていたが再現がない。「ありがとう!もう良いよー。」と言っても、「どうぞどうぞ」と継いでくる。最後は手で食器を覆って守らないといけなくなった。諦めたお姉さんは攻略しやすい身長190センチのルイジの方に攻め込む。かれも精一杯頑張っている。食べ物や酒を際限なく提供するのはこの地の文化であるように思う。今日もやむを得ず残して「申し訳ない」と謝ったら、「大丈夫犬が食べるから」という。「なんでも食べるから」という。こんな辛いのでも?昔実家で飼っていた日本犬は、カレーを食べさせると「辛いよー。」と遠吠えをしていた。そういえばこの地までの道中、バスダに「ビスケットが欲しい」と言ったら、スーパーのレジ袋三つパンパンになるぐらいのスナックを買ってきた。ビスケットが二枚欲しかっただけなのに。

私はこの地の食が大好きである。前頭葉が喜んでいる。その一方で体の不随意筋の部分。すなわち胃袋から下の勢力が抵抗している。胃の幽門が閉じて通関させない。特に最終日にふるまって貰った食材が難関であった。発酵食品が多い。ゲンラが美味そうに頬張っているから多分大丈夫なんだろうけど、少々勇気がいる。キクラゲが強烈な匂いを放っている。菌糸の塊がさらに援軍を得て強化されている。多分日本に来た欧米人が納豆を勧められたらこう感じるんだと思う。日本の沽券に関わるから、平然と笑顔で口に押し込む。するとチーズが出てきた。「この日本人はなんでも食うぞ」ということで試す意図がミエミエである。発酵中のドロドロのチーズを大匙ですくってくれる。しかし、この手のものは得意である。フランスのマンスターチーズの癖の方が強い。ちなみに手塚研究室では年に一度シュールストレミングという世界一臭いと言われる食べ物のパーティーをする。バイキング由来の魚の塩漬けである。これをスゥエーデンから来た交換留学生達と食う。なんのことはない。私の体内に巣食うバイオフォームは今や最強である。。

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