Message

Back

幼稚園の作り方 その4

2017/9/4

(日本建築学会の子供環境シンポジウムに寄せて)

子供の為の建築とは何か。 病院や教育施設を作ると同じような問いが投げかけられる。
理由は管理する側と使用者側でしばしば要求条件が違うからである。 管理するという観点から話をすると、 当然のことながら限りなくリスクを避けながら要求条件を満たすだけの設計になってしまう。
一方使用者側の要求条件というのは多種多様で一つに絞ることはできない。
しかし設計を進めるにあたって一つだけ間違いのない拠り所がある。
人とは何であるか、或いは子供とは何であるかという当たり前の問いである。
設計者として経験を積むに従って気がついたのは、殆どの人々はあたりまえの良識を持っているということである。 よってごくあたりまえに誰もが納得する答えを持っていけば、大方の問題は必ず解決できるのである。

あたりまえの良識とは何か。
世の中の常識のことを言っているのではない。 常識というのは世間のしがらみの中でやむなく落ち着いた状況である場合が多く、必ずも真実ではないのだ。
例えば公園で木登りはしてはいけないことになっている。 公園の管理上当然のことであるし、公園は子供だけの場所ではないのであるから当然のことである。
しかし一方で誰もが子供というものは木登りが好きであることを知っている。 木登は人間の進化の上で常に生活の一部であったであろうし、 その進化の過程を辿る子供の成長過程で木登りを試したいという欲求が生じるのは実に自然なことであるのだ。 勿論現代社会において子供を揃えて木登りを課すような危険な行為は許されない。
そこで登場するのが設計者の技量であると思う。
本来の人のあるべき姿を見据えつつ、現実的なポイントを模索して世の中を納得させていかなければならないのだ。

子供は環境の一部である。 子供は自然環境と切り離すと色々と問題が生じる。
勿論それは大人についても当然のことであるが、子供の場合それが顕著になる。
例えば子供はノイズのない空間に耐えることができない。 子供を落ち着かせるべく静寂な部屋を提供したいという要求が出る場合もあるが、 子供はその環境に耐えることができない。
現代建築における静寂な空間というのは、外部と隔絶されたバックグラウンドノイズのない環境を言う。
人間の体は静寂に対応するようにはできていない。 人間の体はノイズの塊なのである。
肺や心臓から体の中へと伝わるノイズは建設現場にも匹敵する。 人間はその音を周辺環境の音に紛れさせて無視する術を身につけているから、 モーツァルトの音楽を落ち着いて聞くことができるのである。
禅寺の静寂な空間はバックグラウンドノイズに満ちている。
静寂であると言うこと無音ではないのである。

子供が絶対に雨に濡れず寒い思いをしなくても移動できる必要があるのか。
「子供は耐水性」なのである。 服が濡れたら着替えれば良い。 部屋さえ暖かければ凍えることもない。
人は最も暑い夏に50度の砂浜に出かけ、寒い冬に-20度のスキーゲレンデへと向かう。
結局のところ人間の快適さは温熱環境だけではなく、楽しさという実に定量化し難い要素で決まっているのだ。
これらのあたりまえの感覚は業務にかられていると忘れられがちである。

2017年8月17日
手塚貴晴

Facebookでシェア
Twitterでシェア