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苔庭

2023/2/15

気候が造作した庭である。苔は応仁の乱に起因する。西芳寺そのものの歴史はまもなく十三世紀を迎えるが、苔寺という呼称の理由である庭の成り立ちそのものは、さほど古くない。古くはないという意味は、堂宇の建立のように明確な瞬間が存在するわけではなく、長い年月と運命の偶然が数百年をかけて育て上げた生き物であるからである。庭は応仁の乱のあと一世紀に渡って捨て置かれた。さらに洪水にも幾度か襲われさらに荒廃。それが江戸時代末期になって、風物として評価されるに至り、次第に重宝されるようになったという。日本最古の枯山水もあるが、これも時のなすがままに自然に苔が発生した結果、当初とは別物に成り果てている。よって苔庭は人が意図して作ったわけではなく、成り行きの産物である。しかし成り行きの産物であるということが、この苔庭を唯一無二の存在に仕立てた。

西芳寺の苔は斑模様である。陽当たりの具合であるという。2019年の台風で枝が折れ、陽当たりが変わった。それぞれの苔には好む微妙な陽当たり具合というものがある。影を好むヴェルヴェットのような苔に陽が当たるようになると、それは日陰へと引っ越してしまう。もちろん苔は歩く脚がないから、その場では枯れて、新しくできた日陰の地域で繁茂するということである。禿げたあとには新しい苔を植えて補修するのが世間の苔庭の定石であるが、西方寺ではそれをしない。禿げたところは自然に任せ放置しておく。怪我の跡のように土が露出して痛々しいのであるが、数年を経て微かに治癒が始まり、杉のような苔が領域を侵略し始めている。陽当たりを好む苔である。人の手のひら程の起伏にも、南斜面と北斜面がある。南斜面には陽樹に似た性格の苔が増える。微かな窪みには水が溜まり、その水が逃れる水路が生まれる。水底には藻が生え、際には大水苔が縁取りを始める。全て気候と地形の成せる技である。かくして生まれた彩は、印象派の絵の妙を超え人智を超えた、複雑で多様な世界を編み出している。

西芳寺の庭には赤石山系の山河を見渡す程の多様性が含まれている。山があり川があり尾根がある。高度によって違う植生が育ち、それぞれに共生藻が生まれている。インスグラムによって世に広められている景色は、無限の縮尺に展開する万華鏡のたった一幕に過ぎない。この深淵こそ西芳寺の苔庭が世界に評価されている所以がある。

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