シングチャングのマーケットにて一休み。ここを越えると食事がないという。道の反対側でニワトリが叫んでいる。羽を掴まれて檻から一羽ずつ引きずり出されて、運ばれている。食われるとわかっているのであろう。悲壮感いっぱいの叫び声をあげている。店の奥にどんどん放り込まれるのであるが、その途中では仲間が頭を切り落とされて、どんどん皮を剥がれている。彼らにとってはなんと恐ろしいことであろう。しかしここでは日常なのだ。アニマルライトなど微塵もない。このお肉屋さんにとっては、生きている鶏の頭もにんじんのヘタも全く差がない。両方とも新鮮なことが大切なのだ。私たち日本人だって鶏を食べる。だから実は彼らと同じだけ罪を背負っている筈だ。だけど日本では屠殺風景は見えない。だから気にならない。果物屋さんがある。山ほど新鮮な果物が並んでいる。バスダさんはここより奥には果物がないと言って、山ほど買い込んでいる。あれこれといつまでも買い物を続けるので、後ろにはドンドン列ができる。店の親父さんは一人しかいないのだ。しかし気にしない。そんな人の迷惑なんて気にしていたらここでは生きていけないのだ。私にはとても無理だ。店先では東大寺の大仏そっくりの顔の子供が手のひらで水を受けて遊んでいる。明らかに仏像の顔である。そうか大仏様はここからいらっしゃったのか?と意味もない妄想が頭をよぎる。道で揺られすぎて脳がシェイクされたのか、どうも正常に機能しない。