宿に着いた。ゴウハティにある空港から既に5時間車で揺られて来たが、これはまだ旅の始まりに過ぎない。車幅一杯の獣道のような泥道の奥にその宿はあった。植民地時代の名残で、文化財となっている素敵なバンガロー。好奇心に目を光らせた猿の家族が迎えてくれる。これから向かうのは、中国とブータンに挟まれたインドの奥地で、盲腸のように両国の隙間に食い込んでいる。なぜ食い込んでいるかというと、長年中国とのインドとの間の紛争地帯であったからである。ヒマラヤ山脈の一部ではあるが、標高はさほど高くない。2000メートル程度である。ラサのポタラ宮殿から続く谷がヒマラヤを二つに切り裂くように続いていて、その谷を見下ろす尾根に目的地はある。来る前にはラバに乗らないといけないと言われていたが、どうも脅しらしい。実のところ,ちゃんと道があって車で行ける。ただし車で行けるというのは、日本で言うところの道があるというのと全然違う。それを二日目で思い知らされることになる。
ダッシュボードにクルクル回る銀色の不思議な円筒が付いている。チベット仏教の仏具でマニ車という。表面には真言が書かれている。これを一度回すだけで真言を一回唱えたことになるという、実に便利でありがたい道具である。マニ車には寺院にあるドラム缶みたいな巨大版もあれば、家庭用のゴミ箱サイズの可愛らしい小型もある。この車のダッシュボードに座っているのはそのミニチュアで、モーターが付いている。いつまでも動いていて優秀だなと思ったら、人から見えないフロントウインドウ側にソーラーパネルが付いているという。仏様も最近はSDGSを大切にされているようだ。我々はインディアンGPSと呼んでいた。天から力を頂いて我々を導くのであるから、あながち間違いではない。しばらく車に乗っていると、この大切さ有り難さがよくわかって来た。インドの道は命懸けなのだ。
「寝てていよ、」と運転手は言うが、寝れるわけがない。高級なバーに行くとシェイカーがカシャカシャ鳴っているが、あのシェイカーの中に入った氷になった気分である。道が酷くて無茶苦茶揺れる。ひたすら何時間も揺れる。脳が崩れそうである。ガソリンスタンドについてホッとして一寝入りしようと思ったら、また車がユサユサを揺れ始めた。あれ、まだ休み時間のはずなのに。。。なんと運転手が車を揺すっている。どうもこちらではよくやる手法らしい。給油が一度止まった後ゆすると、もっとガソリンが入るのだという。半信半疑で覗いて見るとホントだ。給油孔まで一杯になっていたガソリンが、揺らすとガポガポという音と共に中に入る。多分これは授乳したあと赤ん坊の背中をトントン叩いてゲップを出させるのと同じだとおもう。だけどお母さんは腹一杯になってゲップした赤ん坊にさらに飲ませたりしない。無理にガソリンを呑ませられている車がかわいそうになった。呑み会でもう呑みたくないのに無理に呑まされている新米と同じである。しかし後でわかった。腹一杯飲ませることは大切なのだ。インドの道では何があるかわからないからなのだ。100キロの道が、土砂崩れで通行止めになって回り道になり、300キロになることもある。ゲップの分のガソリンが命の分かれ目になることだってあるのだ。