大橋力氏の誘いを受けてバリ島のジャングルにケチャダンスを鑑賞したことがある。静々と降りる夜の帷を引き破ってケチャは現れる。炎が明明と蠢く人の群れを照らす。ケチャとはインドネシアのバリ島に古から伝わる謡を、二十世紀に至って現代の音楽として昇華させた芸術である。ケチャという名称は、謡が発するケチャケチャという叫び声に起因する。近年のアバターという映画にエイワと呼ばれる惑星規模の生命体と原住民が対話する儀式が登場するが、まさしくそれである。腕で繋がった群衆が、肩を前後左右に揺する。自己催眠にかかったかのような人の声が、黒々とと聳え立つジャングルに木霊する。そのケチャをか物見雄山の環境客よろしく携帯電話で録画をした。
その録画を東京に帰って再生をした。すると雑音が酷くて肝心のケチャが聞こえない。これは私の携帯がイカれているにちがいないと思ったらそうではないらしい。これも音の教師である大橋力氏より啓発があった。雑音はジャングルのバックグラウンドノイズであると言う。私はそのバックグラウンドノイズを聞いていない。ちゃんと静寂の中で聞いていた。ところが大橋力氏によれば、「それは君がその音を気にしていなかっただけだよ。」という。要はその雑音はあったが、私の耳から入った音が脳を素通りしていたということである。オーディオ用語を使えばノイズキャンセリング機構が起動していた。もっと平たく言えば聞き流していたと言うことになる。氏によれば、人間には場面に応じて働くノイズキャンセリング機構があるという。人はジャングルの中で育てられた動物である。よって動物や虫の声によるバックグラウンドノイズに満たされている空間こそが、定常状態すなわちデフォルトであるという。そのノイズキャンセリング機構は東京では起動しない。東京にはジャングルがないからである。さらに氏の説明は続いた。「君の心音や呼吸音は普段聞こえないだろう?同じことだよ。」確かに日々の生活で自分の心音や呼吸音は聞こえない。体の中でなっているわけだから、その音量は建設現場の音にも匹敵すると言われる。それを我々の頭脳はなかったことにして聞き流す事を学んでいるのである。前述のジャングルの音をデフォルトとみなし聞き流すのことと同じ現象である。このノイズキャンセリング機構は水の中に飛び込むと機能しなくなる。体が通常の環境から切り離されるからである。これはジャングルの音がジャングルの中でキャンセルされ、東京でレコーディングされた音を再生すると聞こえる現象と似ている。人間の脳は置かれた状況で何を聞けば良いのか判断して情報を選り分けるのだという。新生児とバックグラウンドノイズに関する興味深い論文がある。静かな特別室に1人で入れられた新生児の多くが精神疾患を患う現象があるのだという。これは静寂の中でバックグラウンドノイズをキャンセルする機構が故障を起こしている現象であるという。静寂は子供にとって安眠の環境ではないのである。成長した大人にも似たような挙動を見出せる環境がある。無響室という実験用の特別空間である。ここに入れられると、誰もが自分の心音や呼吸音が聞こえてくる。その環境はかなり不快であると言われている。その為高性能のスタジオなどの空間ではあえてバックグラウンドミュージックなどを意図的に流している。