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六日目 教育

2022/12/3

ゲンラはジャムセイ・ガッツァの教育には三段階があると言う。第一段階は種。第二段階は消化。第三段階は共有。英語ではseed digestion sharingである。手法は僧院で行われる問答に近いそうである。気がついたのは、私が大学で行う講義手法と極めて近いこと。教員は黒板もテキストも使わない。ノートも使わない。教員は話す内容がしっかり身についていないと話せない。借り物の知識で黒板なしの授業はできない。。学生もノートを取れないから必死に頭に叩き込む。真剣勝負である。ゲンラによれば、教員は間違えても良いという。あるいは意図的に間違えた見解を述べると言う。チベット仏教における問答の手法だそうである。例えば「なぜ空は緑なのか?」と問う。実際の空は緑でない。しかし師匠のその間違った見解を論破するために、弟子は理論武装しなければならない。この理論武装が第二段階である。第二段階では資料を使いノートを使って勉強する。第三段階では、自ら得た知識を共有する。最初は2人で。ひとりで解けない問題も、何人か協力すれば解ける。その輪を3人、7人と増やしてゆき、最後は大きな輪に広げる。それを続けることで、知識を共有する手法を身につけ、その知識は次第に知恵となる。知恵とは得た知識を実際の社会で活用する工夫である。教え込んだだけの知識は部材に過ぎない。この最果ての地に世界最先端の教育が育っていた。

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