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罪なきものは石を投げよ。仏教版。 Forgiving. 許すこと。

2023/9/27

我々の無数のスタディー模型を見て、forgiving「許すこと」の話が出た。「なぜこんなに沢山模型を作るのか?」とゲンラに聞かれた。「それは模型を作らないと間違えるからだ。」「模型を作ると間違いが沢山間違いが見つかる。今間違いを見つけとかないと現場で困る。間違いを見つけて新しい模型を作るとまた間違いが見つかる。それを繰り返すとどんどん模型が増えてしまう。」と答えた。「なるほど、そうすれば本物の建物を作る時間違えないのか。」とゲンラ。「いや。それでも間違える。」「ただし木造の良いところは、間違えを現場でなおせるとこなんだ。」と答えた。それは「Forgiving許すことだな。」とゲンラ。

人は間違えるものである。私も間違えるし、所員も間違える。間違えたら、次の模型で直せばいい。「これは人間と一緒だ。間違えは次のステップの機会。間違えたら次は一段上がれる。また間違えて次のステップ。そうやって人間は少しずつ上がってゆく。私はそうだった。そういうことをここでは教えている」という。流石お坊さんである。何でも人生に結びつけてしまう。小さな126×2の瞳がキラキラ輝きながらその話を聞いている。

日本は不寛容な社会になるつつある。小さな間違いをネット社会は指摘して人を叩きのめす。何のためだろう。キリストとは「罪なきものは石を投げよ。」と言った。群衆が人を罰して石を投げつけていた時にキリストが放った言葉である。すると誰も石を投げられなくなった。誰もが間違いを犯す。罪なきものなどいない。ここは仏教の地であるが同じことを言っている。建築は難しい。一人の人間で全部を完全に把握するなど不可能である。住宅でさえ部品点数五万を超える。人生も同じであろう。

罪なきものは石を投げよ の話しは奥田 知志牧師より拝借しました。

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