Message

Back

二日目 その七

2022/12/2

ラサのポタラ宮殿からインドに向けて一筋の谷がヒマラヤを切り裂いている。かつてダライ・ラマが辿った苦難の道である。かつてはヒマラヤを抜ける数少ない道であった。インドと中国はこの谷を巡って長年国境紛争を続けている。ここにモンパと言われる民族は住んでいる。険しい地形に隔てられていたせいであろうか。モンパには4とも11とも言われる言語があり文字もない。ここに国という外念はない。よって紛争地帯ではあるが、森に住む生き物と同じで彼らは蚊帳の外である。だから彼らは国境という概念もない。集落の中に国境があったりするが、彼らにとって国境は踏切ほどの意味もない。当然のことながら彼らはパスポートを持たない。モンパらしい風貌と着こなしがそれの代わりになる。強いて言えばチベット仏教を信仰しているという共通項があるが、彼らはチベット語を介せない。ヒンディー語も中国語も話さない。もう一つ大切なことがあった。彼らは日本人そっくりなのだ。数の数え方も言葉の語順も同じである。着物そっくりの服を着ている。一説によれば、日本民族の故郷であるという。ただし本当に日本民族という大きな概念が存在すればという但し書きは残る。中国内陸部からモンゴルそしてシベリアのサハ共和国にかけてこの共通文化圏は広がっている。ここにはサハの島であるサハリンも含まれている。ここからは推測に過ぎないが、強力な帝国を作り上げていた中国沿岸部を避けた結果、これらの人々は辺境を回り続けて、日本というまたこれも辺境の島国に辿り着いたのではなないかと思うのである。いずれにせよ彼らは山手線で見かけるサラリーマンやOLとそっくりである。このモンパの谷を見下ろす小高い尾根端に目指すジャムセイ・ガッツァはある。標高はヒマラヤの尾根でありながら2000メートル台に過ぎない。

ジャムセイ・ガッツァは105人の子供たちが暮らす孤児院である。ゲンラと呼ばれる僧によって開かれた。ゲンラというのは導くものという意味で、彼の本名ではない。本名はロブサンである。ゲンラはトイレで生まれた私生児である。母親はその生まれたばかりの子供を草むらに捨てた。鳴き声を聞きつけたその母親の母親、すなわち祖母が取り上げてその子を育てた。しかし父親がおらず母親に望まれず生まれたという境遇は厳しい。子供ながらに荒れた。彼を手に負えなくなった祖母と集落は、彼を南インドの僧院に送り出した。そこで彼は素晴らしい師匠と出会うことになる。詳しい経緯はここでは記さないが、結果的に彼はボストンに引っ越し、ハーバード大学でレクチャーをするまでになる。その彼が開いたのがジャムセイ・ガッツァである。集落では貧困ゆえに多くの小さな命が失われている。彼はその消えようとしているかすかな命の瞬きを一つ一つ拾い集めてこの院を開いた。最初は数人から始め少しずつ増やし、今や105人の子供たちが身を寄せている。

Facebookでシェア
Twitterでシェア