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建築はパズルの最後の一枚

2023/7/18

世の中は優れた活動家に満ち溢れている。活動家という表現が適切であるとは思えないが、他の単語を私は見出せてはいない。彼の方達は革命家であると言える。世の中に存在しない概念を創り出すべく日々戦っている。生死の戦いはないが、明治維新をもたらした志士に近い。ひたすら憂国の念に焼かれて走っている。新しい幼児教育を作り上げようとしている「ふじようちえん」の加藤園長先生。社会の弱者救済に立ち上がった奥田牧師。小児がんが引き起こす家族の断絶問題に取り組む田村太郎亜希子夫妻。バクテリアバランスが引き起こす不妊問題に取り込む「空の森クリニック」の徳永義光医師。世界で最も貧しく辺鄙なところに孤児院を設立し、世界で最も進んだ教育システムを作り上げた僧ロブザンLobsang Phuntsok。私達は建築家人生を通して多くの巨人達と巡り会い共に働く幸運に恵まれた。

どんなに優れた建築を作ろうと、新宿のガード下に寝ている人々が家族の為に家族を見つけることはできない。建築そのものが新しい教育を作ることはない。建築で津波を防ぐことはできない。一方で、病院を設計していると、「大切なのは看護婦の愛なんですよ。」と言われることがある。その通りである。しかし「看護婦の愛」だけでは現在から改善しない。「もっと看護婦の愛を!」と叫んだところで、看護婦さんの愛も無尽蔵ではない。看護婦さんも人である。

建築は最後のパズルである。建築家として仕事をしていると、世の中の出来事が空中を漂うパズルに見えてくる瞬間がある。それぞれのパズルは風に吹かれて右往左往している。そのバラバラのパズルを拾い集めて、建築という最後のパズルをはめ込むと、突然一つの絵が完成する。空中に漠然としていたアイデアが突然現実のものとして出現する。

建築の力である。これはとりもなおさず建築と人間の関係に起因する。殆どの人間の営みは建築の中で行われて来た。食べること、寝ること、子育て、勉強、研究。全てである。それら無数の出来事を繋げ文明を繋ぎ合わせてきたのが建築なのである。建築の役目は既にあるバラバラの解決策の部品をつなぎ合わせ完成品として現世に実現するところにある。上手く物事が運ぶと、抜け殻のはずの空蝉が肉を得て樹皮を登り始め、背を割って羽を乾かして飛び立ってゆく。

建築に関われる我々は幸せである。建築はシェアする芸術である。人間一人の力は限られている。建築はしがらみが多い。そのしがらみは制限ではない。機会である。建築プロジェクトは帆柱を立てた小舟である。大海には風が吹き白波が立つ。その風を己の味方とすることで、人類は大海を渡り遥か離れた地に宝を求めた。自らの力だけで漕ぐ速度はたかが知れている。建築のしがらみは大海に吹く風である。上手に乗りこなせば、想像だにしなかった地に誘ってくれる。航海は楽ではない時には大波を被り、突風が帆柱をへし折ることもある。沈没する船もある。幸い我々はなんとか乗り切っているが。その困難を超えた先に辿り着いた喜びは格別である。

建築家は人の為に建築を造る。自分の為ではない。故に建築家は大いなる力を託される。巨大なオーケストラを指揮するように。その畝りは人を巻きこみ社会に風を巻き上げる。その響きの広がりこそが建築の力である。

田村 太郎

田村 亜紀子

奥田 知志

加藤積一

Lobsang Phuntsok

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