透明な静寂の中で瞼が開いた。テラスに向いた扉を開くと雲海。茫漠夢幻の帳が揺らぎ、間に間に浮かぶは隣国ブータンの峰々である。谷川は痛いほどに深くヒマラヤを削り、密やかな渦の音を届ける。対岸では集落が急峻な山肌を削り黄緑色の棚畑を広げている。ブータン国境手前最後の村落ボングレンである。水はあるのだろうか。電気はないであろう。人はどんな奥地でも住んでいる。なぜこんなに困難な場所に繁殖の地を求めるのだろう。この人たちは便利というものに興味はないのか。急峻な峰々を選んで繁殖する雷鳥のように、彼らの集落は置かれた場所で咲いているに過ぎない。人々は彼らは貧しいという。しかし本当に貧しかったら人はこの地を選ばない。集落に向けて細々と延びる自動車道路は富をもたらしたのか?彼らの多くは自動車道路建設に従事して現金を得ている。しかしもしその労力を畑に費やしていたら。あるいはATMを見たことがなかったら、彼らは十分に幸せだったのではないだろうか?ここに現世の矛盾がある。集落にはホームレスが皆無であったという。新婚家庭が生まれると、村総出で家を作り多少の畑を分けて生業ができる設えを作り上げたという。材料は全て村の周辺で採れるから、家を作っても何一つ失われることなく循環していた。ある日街から鉄筋コンクリートがやってきた。今や多くの新築が鉄筋コンクリートに移り変わりつつある。しかも耐震設計ができてないい加減な配筋である。多分地震には耐えられない。ヒマラヤは断層の巣である。当然のことながら鉄筋コンクリートは山でとれない。だから家を作るたびに現金が街へを出てゆく。家を立てるたびに人々はどんどん貧しくなる。断熱の存在しない鉄筋コンクリート造は、決して快適な環境ではない。かつて板葺やスレート葺であった屋根はブリキ板に変わった。暑くて寒い。建築のプロとしてはこれを変えたい。