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四日目 宇宙人?*¥#?

2022/12/2

「お前はどんな村から来たんだ?」由比が子供達の囲まれている。iPadを取り出して写真を見せた。見せたのは渋谷フクラスのルーフトップ。「ワワワワ?*¥#@???」大騒ぎ。瞼が思いっきり開いて、目玉がこぼれそうになる。「なんだこれは?」超高層の間に間に光ったお皿が浮いていて、その上で人間が光った飲み物を飲んでいる?お前らは宇宙人か?日本にはこういった状況を演出する番組が沢山ある。私はそういう番組が嫌いである。どうしても上から目線になり、「私達は君たちより優れているんだ。」という態度が透けてくる。しかし計らずしてそういう状況が起きてしまった。しかし、ごく自然に。彼らの生活は貧しい。お金はない。しかしどちらが幸せかというと、答えられない。彼らは日本人にそっくりである。DNAテストをすると、京都人と東京人ほどの差もないように思う。

なぜこんなに生活が違っているのか。多分一つには戦争という状況がある。開かれた場所では富を奪い合い、生き残るために切磋琢磨を繰り返す。その中で得るものもあれば失う物もある。日本は無数の戦争を繰り返してきた。中国はそれ以上の戦争を繰り返してきた。人は尊厳のために戦う。旗のために戦う。しかしここの人達にとって、国境という線は何の意味も持たない。彼らにとって国は、空を漂う雲と同じで、影を落としたり、雨を降らせたり、時々恐ろしい嵐で雷を落とし人殺しをする。見上げるとろくなことがないので、伏目がちに背中で感じる。どうすることもできないし、興味もない。言葉も通じない。こういう人達が住む場所を二つの大国が奪い合っている。国は「民族の尊厳」というが、この人達にとって世界の果てはあっちの尾根とこっちの尾根の向こうにあって、その先は火星や土星と変わらないぐらい無関係なのである。断言できる。民族と国境は関係がない。日本のニュース記事を見ると、韓国と日本の文化の違いや中国と日本の文化を違いを書き立てている。なぜ違いでなく、似ている部分について語れないのだろう。日本建築を韓国や中国の人が、あれは韓国や中国の建築のコピー製品であるという。断じてコピーではない。千年以上前に彼らは仏教を伝え寺院を建立するために大工を連れてきたのだ。そして日本に帰化した。だからコピーではなく本物なのである。だから日本建築は韓国建築であり中国建築でもあるのだ。日本人中国人韓国人という区分は幻想である。民族にそんな明確な区別などない。柴犬と秋田犬ほどの違いもない。離れたところにいれば違いが生じるのは当たり前である。日本のカレーが本場インドのカレーと違うのは当たり前である。それを間違っているということこそ間違っている。似ている点を互いに喜び、違いを受け入れて面白がる。なぜ世界はそれができないのか。ウクライナ紛争を見ていて思う。あれは京都と東京で戦争をしているようなものである。それを京都贔屓の他国が武器支援をする。それは許せないから東京は京都にミサイルを打ち込み人殺しをする。そのくらい馬鹿げている。ここにいるとその馬鹿馬鹿しさがよくわかる。

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