苔庭を建築家である私が研究するのには理由がある。近頃「共生関係」という哲学に強く惹かれるようになったからである。建築という職能に没頭していると、どうしても作家性という性癖に誘惑される。この作家性というという言葉は薬のように便利であるが、同様に害もある。作家性は建築家という不確かな称号を、単なる設計者から差別化しようとする傲慢な態度でもあり、また誇りを主張する大切な機会でもある。逆に言えば作家性を抜き取ると建築家の存在は霧散してしまう。
大切なことはその作家性が人々と共生関係にあるかどうかということである。時折、作家性と機能はせめぎ合いであるとの内容のコメントを見受けるが、私に言わせればせめぎ合うような作家性は価値がない。建築という行為は作家個人のものではない。料理と同じく他者に対して提供する行為である。他者とその悦びを共有できなければ、建築は価値を持たない。